めげないで…

闇に学ぶ―辺見庸掌編小説集 黒版銀糸の記憶―辺見庸掌編小説集 白版
 長嶋茂雄さんは球場に元気な姿を見せ、選手ひとりひとりが、観客が、テレビに食い入る人たちが、ほっと、胸を撫ぜ下ろしたみたいですが、同じ時期脳梗塞で倒れた辺見庸氏の情報がネットで検索しても入らないですね。どうしていらっしゃるんだろう。その後の病状は…と、気になるところです。僕と同年なんですが、彼の美文でありながら硬質な文体は読み手を深いところで揺り動かす力を持っていました。直截に政治を語る文学者は減りましたね。たまに語るのを聴いても、“いい子ちゃんぶった”パーフォーマンスでその場限りで消費され問題の本質を回避する。そんな中で辺見庸は屈折しながらも真摯な態度、結構、ユーモラスなレトリックの駆使など、いつも新刊が発売されるのを楽しみにしていたのです。脳梗塞で倒れたニュースに接した時、偶々数日前に大阪の郊外で行った講演会の模様をテープで聴いて辺見庸の喋りの上手さに、今度は絶対ライブで聞きに行こうと決心したところだったのです。残念でした。あれから、気をつけているのですが、病後のニュースが入りませんね。ナガシマさん関係は情報が溢れているというのに、どうなっているんでしょうか、部屋の掃除をしていたら、毎日新聞(夕刊)2002年11月25日の[辺見庸氏インタビュー]『作家の嗅覚ー世界はじわじわと戦争に向かっている』の切り抜きがありました。『永遠の不服従のために』(注:bk1拙レビュー添付)の発刊インタビューなのです。一部引用します。

ーーバブル経済が崩壊し、湾岸戦争以後、日本が変わってしまった気がします。
戦後民主主義が崩れちゃった。日本ではあれは「主義」じゃなかった。向こう傷を負ってでも闘うということじゃなかった。知的お飾りというか、集合的な「気分」にすぎなかったね。集合的な気分だから容易に変わりうる。でも、それでも決壊させてはいけないという「堤防」はかってあったと思う。有事法制とか、盗聴法とか、住其ネットとか、周辺事態法とかを許さない精神の堤防がね。その堤防が99年、一気に崩れてしまった。一部だったら、土のうを積み上げて応急的な処置がきいたけど、それができない。そして、むしろ、濁流に自分を合わせていくようになった。その最大の主体がマスメディアですよ。
 権力が強権発動してやったんじゃない。むしろ、自然に受け入れてしまった。戦後民主主義が死がいとなって横たわっている。集合的な気分としての民主主義。それがいま、全体主義になっていく。危険な水域に向かっています。
ーーひどく困難な時代ですね、我々は何をすべきですか。
■個々人が根源的な問いを発し続けていくことしかないですね。CTBT(核実験全面禁止条約)を事実上消滅させ、NPT(核拡散防止条約)を無力化し、自分たちは実戦使用できる新型戦術核の開発を本気で始めているーーそんな国が他国に対して、核を作るな、大量破壊兵器を作るなという権利があるのか。そういう根源の問いを続けなければならないと思います。反テロを呼びかければ呼びかけるほど、逆に戦争が起きているのはなぜなのか。イスラエルは核弾頭を持っているのに、なぜアメリカにとってならずもの国家じゃないのか、とか。
 「個」から自由に発想すること。戦争反対を首から上で話すだけでなく、少しでも身体を担保して表現する。めげない。諦めない。戦争勢力に対しては、ズルズルといつまでも服従しない。そのことを僕の新刊は呼びかけています。

僕は郵政民営化には基本的に賛成なのです。でも、こつこつと貯めた平和を一番希っている庶民の預金が民営化によってそのような国により円滑に金が流れる仕組み、回路が出来やすくなるということも事実で、今回の民営化法案はブッシュの戦略が背景にあると聞かされと、待てよとなりますね。まあ、僕の変わらぬ方向性はアメリカから戦略的にゆっくりと離脱して、盟主なき東アジア共同体しかよりベターな選択はないのではないかと、思っているのです。まあ、アメリカと地獄の底まで一緒に付き合いましょうというのもそれなりの首尾一貫した選択肢ですが、賢いやり方ではないと思う。賢くなくても、アメリカに借りがあるから仕方がないと諦めているのなら、そこまで庶民は付き合う必要はないですね。庶民にとってまず、「生きる」ことが第一ですから。「生きるために」どのような政治を選択すべきか、クールに分析して今回の衆議院選挙に貴重な一票を投じたいと思います。
辺見さん、ゆっくり養生して一日も早く復帰して下さい。
参照:http://blog.goo.ne.jp/diaspola/e/c80f23896dead6f578a416b1fb5ff99a