ギリギリの旅立ち

 過去ログのコメント欄でぴぴさん、shohojiさん、巻き助さんから絶賛された映画『イル・ポスティーノ』をまだ観ていなかったのです。それが、レンタル屋の中古棚にビデオが200円で売られていた。中古なので、画像を心配したのですが、全然劣化していませんでした。こういう映画はいつか又見たくなるでしょう。中古でゲットしてラッキー!
 ’95年度製作でしょう。10年経っているのです。マリオ役のマッシモ・トロイージは心臓病で余命いくばくもない状態で全力投球し映画完成直後に41歳で亡くなったんですね。こんな名画をず〜と見ていなかった不明を恥じるばかりです。そんな壮絶な俳優の生き方を思いやっていたら、こちらは、郵便配達人でも詩人でもない、やくざ映画『竜二』(’83年製作 川島透監督)で脚本、主演した金子正次の凄い役者ぶりが妻役の永島映子との絡みと共に記憶の中に浮かび上がって来ました。そんな連想はどこかでやくざと詩人が繋がっているような気がするからであろうか、ある修業を積めば、作家になれそうな気がしたが、俳句であれ、短歌であれ、入り口辺りまではアクセス出来そうな気がしたが、詩となると、まるっきり自信がなかったですね。いわんや長詩となると、お手上げです。
 鶴見俊輔は明治以降、日本人はヨーロッパ言語を学んでヨーロッパには長詩があることを学んだが、この百五十年日本生まれの日本人(在日日本人)は千家元麿の『昔の家』を除いて誰も長詩を書いていないと言う。しかし、在日朝鮮人金時鐘は日本語の鍛え方が違う。『新潟』、『猪飼野詩集』という長詩を書いている。日本語文学の一つの頂上を作っていると言う。僕は絶対詩人になれないと思ったのは「これしかないというギリギリの選択」でしか生きられない「竜二」の覚悟がなかったからでしょう。映画の中の若者マリオも、マッシモ・トロイージ自身も旅立ったのはギリギリの必然だったのかもしれない。