顔文不一致の檸檬

 Sさんからのネタなんですが、京都の丸善が閉鎖されることになって、それを惜しんで檸檬を店頭に置いていくお客さんが後を絶たないということです。僕も檸檬を置いて行こうかな。シャノワール別館の黒猫房主さんがかっての河原町書店街をレポしてくれています。10月10日が閉店で京都に行く機会があるかなぁ…。そうそう、顔に拘泥するSさんが、又、又、顔文一致について書いています。≪学生時代、友人と書店にいって新潮文学アルバムを立ち読み、所載の写真をみながら勝手なことをいいあったものでした。 「梶井基次郎……檸檬じゃなくてじゃがいもだよ……」 ≫梶井さんのためにフォローします。僕は檸檬よりジャガイモが大好きです。
 参照:http://tumdoku.exblog.jp/3414144/
 昨日、歩いて行ける図書館で種村季弘の新刊『雨の日はソファで散歩』(筑摩書房)を借りました。種村さんの自選エッセイ集なのですが、愛読者であった僕としては懐かしい種村さんの語り口です。そして、なんとそのものずばり、「顔文一致」のエッセイがありました。

 レコード・ジャケットにはプレイヤーの顔が使ってあるのに、どうして活字本の表紙に作者の顔がデザインしてないのか。平岡正明が、『種村季弘のネオ・ラビリントス』という私の著作集のためのゲスト・エッセイでそう問いかけている。答えは簡単で、物書きには顔に自信があるやつがいないから。
 ただし例外が二人だけいる。種村季弘とおれ、つまり平岡正明は、自著の表紙カヴァーにちゃんと自影を載せている。顔に自信があり、また書いた文章にも自信があるからだ。平岡正明によれば、こういうのを顔文一致というのだそうだ。
 平岡エッセイのおかげでご満悦だった。そりゃあそうだ。書いたものをほめられたことはあるけれども、それを書いた当人の顔までコミにほめられたのははじめてだもの。顔文一致の独占。いや、平岡正明との山分け。[後略]ー35頁ー

 しょってると言えばしょってるが、30年ぐらい前に種村さんのお顔を拝見しています。確かにうぬぼれてもいいお顔でした。でも同じ席にいた澁澤龍彦には負けますね。澁澤さんは顔文が座っている感じでしたね。
 このエッセイ集で一番好きなのは「懐かしの根岸屋」(18頁)です。横浜の伊勢崎町にあった「白い割烹着のおばさん」が接客する、大衆酒場か、カフェと言うべきか、ステージもあってバンド演奏で飛び入りで歌えも出来るし、ダンスもOK!ギリシャ船員、ベトナム帰りのGI、サラリーマン、たちんぼう、ありとあらゆるごった煮の人々がやってきて、呑んだり喰ったり、騒々しく戦後闇市の混沌がまだ尾をひいている根岸屋でした。裕次郎の映画の舞台になったり、黒沢明の『天国と地獄』のロケ現場にもなっているから、映画の中で根岸屋にお目にかかっていると思う。僕もエントリーで「港のメリー」さんにふれて根岸屋を書いている。懐かしい根岸屋です。

 そうかといって、その後はやった「夜の蝶」映画の銀座のクラブのような内容空疎な高級感はない。緑のソファがいわくありげにどぎついわりに、白いかっぽう着が実質的なサービスを提供した。寿司天ぷらが売り物でも、おしんこ、湯豆腐、何でもござれ。夏場はツブのばかでかい枝豆が出た。これこの通り、白いかっぽう着からは何でも出てくる。ひょっとすると、何やらヤバイものも出たかもしれない。客は悪も生活もいっしょくたの、アジア的バザー感覚にじんじんしびれた。
 最後に行ったのは、中華街で島尾敏雄さんを囲むささやかな出版記念会があって、二次会で根岸屋にまわったときのことだ。はじめて根岸屋のアジア的というよりは万人が出入り自由の港町ヨコハマ的混沌を目撃した画家の片山健が、茫然自失といった表情で「ほほう」とため息をついたのを覚えている。
 それからほどなくして根岸屋は消滅した。失火で焼けたのだという。白いかっぽう着の火がついて、振り袖火事ならぬかっぽう着火事が夜空を染めたのか。緑色のソファだけが火事を逃れてしばらく近所のお店で使われていたという。そして戦後が終わった。−(p19)−

 ここで、誤解なきよう強調しますが、若い子が割烹着を着て接客したのではなく、文字通り、おばさんたちが甲斐甲斐しく動きまわったのです。
 ★本日のエントリーを書き終わってichikinさんの更新ブログを拝見すると、中目黒にブック・フードなる店が出来たと言う。根岸屋のような大衆酒場・食堂で本屋さんが合体したら面白いだろうなぁ、勿論、そこでライブもやる。
「解き放て、命で笑え、満月の夕(ゆうべ)」
 この歌聴きたいです。明日探しに行きます。