ポール・ヴィリリオ/光学的速度?意味の変容 (ちくま文庫)電脳世界―最悪のシナリオへの対応 (明日への対話)

 武田徹さんは「さらに文学10/12で森敦の『意味の変容』」に触れて森敦の「望遠鏡の倍率論」について書いている。

「望遠鏡によって得られた外部の実現(ママ)が、見た眼の現実と接続するとき、その倍率を一倍という」で、そこからリアリズム芸術論が出てきて、小説の中で主人公の相手方が「してみると、きみはリアリズムはいわば倍率一倍で外部の実現が内部の現実と接続するとき、これをリアリズムというと考えようとしているんだな」と尋ねるのに対して主人公は機関銃の照準機を例に出して「その倍率一倍もそう称してるだけで、実は倍率1・25倍なのだ。正確に倍率一倍だと、ものがなんだか小さく感じられて、接続しないような気がするんだ」と応えている。

リアリティの問題を考えるにかような視点は避けて通れないであろう。そのあたりを大雑把にパスして経験智でないのに二次情報、三次情報をいかにも歴史的検証を経てきたかのような数学的な自明なものとして抽象的な議論を見聞きするとうんざりする僕にとって首肯できることである。そして森敦はそんな1・25倍リアリズム論を経て、光像式照準機を持ち出して今度こそ本当の倍率1倍リアリズム論を持ち出すところがこの小説最大の見せ場なのだと武田さんは鑑定しているわけ。写真に詳しい人はこのあたりの知見はぴんと来て、ライカM3のファインダーに接続するみたいですね。

『意味の変容』の数学的メタファーと光学的なそれとは質が違う。こうした質の違いに無頓着なところにニューアカの弱さがあり、ソーカル問題に至る、人文系思想が自然科学に手を出す時の脆さの原因があったのではないか。難解なものはみな崇高、ンなわけはないのだ。

 ソーカル問題は書くと長くなりますのでいつか別枠でエントリーしたいものです。
 そのことより、森敦・武田徹の「意味の変容」と松岡正剛『千夜千冊』でポール・ヴィリリオを取り上げたのですが、松岡さんのこれからの時代は光学的密告時代が加速するだろうという予見とどこかでつながっているんではないか、そのあたりからじっくりと学習せんとアカンなぁと思ってしまった。保留と積読の宿題だらけで、未整理の脳内は益々進行中です。
 ポール・ヴィリリオについての最初の気づきはウラゲツのHさんのオススメで“速度”について考えたかったのです。六月頃、『現代思想 2001,1“ヴィリリオ”』を購入。「新しい政治の創出」というタイトルで市田良彦港千尋ヴィリリオについてとても初心者の僕に興味を倍増する語り口でクロニクルに梗概してくれていました。Hさんの言う≪私は次の機会には「速度」の問題を取り上げようと思っています。ヴィリリオがいみじくも指摘したように、速度は政治や富や権力と結びついています。私は同様に、文化的次元にもこれらの〈速度=政治=富=権力〉問題が結びついていると思うのです。≫が何となくイメージ出来ました。
 でも、『自殺に向かう世界』(NTT出版)も購入したものの、いまだ積読状態。そんな認知症的危うさの中で松岡正剛『千夜千冊』でポール・ヴィリリオが取り上げられさっそく読んでみると脳内が刺激されて、やはり、ポール・ヴィリリオは他の本を積読しても読まなくっちゃぁっとプレッシャーを感じたのです。
 ichikinさんやleleleさんが参加したセミナーで「白田秀彰『ハッカー宣言』への誤解説」をロムする僥倖を得たのですが、松岡さんが取り上げたヴィリリオ『情報化爆弾』の1064夜レビューで≪一言でいえば今日のIT社会の問題のすべてが、この「アナロジーからテクノロジーへ」ということに集約される。≫と言われると、それは又、ハッカー革命への抗しし切れない道行きなのかと僕なりの誤読と言うか深読みと言うかアナロジー的読み方をしてしまう。
 実際白田さんの講演も聴いていないし、ヴィリリオの本もマットウに読んでいないのに、こんな風に書いてしまうのは前日のエントリー『株式セミナー』のコメント欄でichikinさんが≪武田セミナーで、ハッカーの労働対価は?という質問に対し、白田先生が、実はもう人類は十分な富を作りだしているんですよ、という主旨の発言をなされたことが頭に残っています。≫とコメントされ、僕が商品の時代という生齧りの知識を披露したことに対するフェントをかけてくれたのですが、「商品からITへ」が大きな流れでは正解なんでしょうか?
 株式セミナーを聴いて投資とは結局、「速度」が問題なんでしょう。みんな一生懸命聴いている。でも、その一生懸命さがアダとなって投資に失敗して右往左往して証券会社などに手数料を一杯取られて、泣きを見る。本屋の店頭には「投資で○億円儲かる」みたいなゴミ本がずらりと並んでいる。木村剛の『投資戦略の発想法』(アスコム)は個人投資家に騙されない知恵を教えているが、必勝法はいたって簡単。転職するなら働いてみたい会社の株を買って、デイトレーディングのような動きはしない、株価の変動をチェックするのは年に数回でいい。長期で30年は持っておく。銘柄も20銘柄で分散する。その間一喜一憂しない。となると、物心ともに余裕がないとアキマヘン。色川武大のギャンブル論「九勝六敗」論は必勝法としてはその通りだが、結局阿佐田哲也の登場人物みたいにオール・オアナッシングの勝負を挑んでしまう。ドストエフスキーの『賭博者』は読者の心を揺さぶる。そんなヒーローにならないように耐えて耐えて、30年もじ〜と株を持ち続けると何とかハッピーな老後を送れるというわけ。僕が今から投資してももう遅い。20、30代の人たちなら間に合う。(笑)。
 横ズレしましたが、世界を【需要<供給】か、【需要>供給】が基本なのか、どちらに解釈、予見するか、そのことによって動き方が変わってきますね。でもそのような決断になる情報の信憑性と言うと、悩ましい問題を抱え込む。
 松岡さんのヴィリリオ読みによれば、

 IT社会とは[…]ユビキタスだとか電子経済だとかウェブ社会というのはそうではなくて、「何事も高速大量に情報にして、判断を情報化に即して了解してしまう社会」なのである。ようするに自分のアナロジーが奪われていく社会なのだ。[…]ヴィリリオは「メディアが政治と法と感情を超えた」と言い放ち、報道はその情報を伝えているのではなく、出来事のすべてを情報に還元することによって、政治と法と感情そのものを複合メディア化をしているにすぎないと断罪した。[…]自動車の著しいハイテク化は、建物の一部を切り離してコンピュータにして、そのあとに4つの車輪をついでにつけたようなものだった。それでも事故がおこるのだから、あとは無視界コックピットが待つだけだ。‥ユビキタスな電子住宅こそ監獄である。閉じ込められれば閉じ込められるほど便利になるというのだから。‥OPA(株式公開買付制度)が残された経済的自由だと思えるのは、1秒後の瞬間情報を確信したいからである。きっとその情報が自分のところに来たものだと思いすぎたのだ。‥選挙はとっくにサブリミナル戦争になっている。政治がカジノになるのは投票者が博打が好きになっているせいだろう。[…]情報化された情報がトランスアパランス(超外観)になりすぎて、また高速ハイパーリアルになりすぎて、大衆はそれ以外の情報を受信する余裕がこれっぽっちもないということなのである[…]グローバリゼーションとは、歴史の完成の開始を意味しているのではなくて、地球のもっていた可能性の領域の終了と閉幕を意味しているということだ。これをいいかえれば、メッセージの速度それ自体がメッセージになってしまっているということだ。 アナロジーを奪ってはいけない。

 松岡さんのポール・ヴィリリオ論は大事な問題を含んでいる。白田さん紹介の「ハッカー宣言」に関連するテキストを読みこなすことで何かが見える、問題のありようの容が場所が見えるような気がする。
 松岡さんは御丁寧にヴィリリオを読むにはかような順序で読むといいと書いています。『速度と政治』『戦争と映画』(平凡社ライブラリー)、『純粋戦争』(UPU)、『情報エネルギー化社会』『瞬間の君臨』(新評論)、『電脳世界』(産業図書)、『情報化爆弾』(産業図書)『幻滅への戦略』(青土社)、『自殺へ向かう世界』(NTT出版)。です。