再販維持制度について 

 10/15のエントリーのコメント欄で黒猫房主さんと「再販維持制度」についてやりとりがありました。黒猫さんはカルチャーレビュー誌に「再販問題」を取り上げるということなので、整理のため、下のやりとりを本文に上げてみました。

♯黒猫房主:世間では「委託と再販」をセットで思考しますが、僕の要点は「委託と再販」を分離して試行実験することです。
♪葉っぱ64:再販維持制度の枠を外すわけで、あとは私法上の契約で個々が委託であり、買い切りであれ、それは当然自由です。問題は再版維持制度は独占禁止法の特例であって、公法上の問題。だから、再販を撤廃するにはロビー活動が必要で国会審議による独禁法改正、この場合は特例を廃止するだけで、単に元に戻すだけ。 委託、買い切りの判断は今でも、自由に出来るわけ。買い切り条件で、正価で一律売る販売も、逆に商品が寡少価値を付加されれば、より高く売ってもいいわけでしょう。そうすると、古書店と新刊書店の境界線が不分明になり、アメリカの本屋さんみたいに古本も取り扱うことになる。そうすると、古本、新刊の区別も無意味になるのでは、単に取り次ぎで仕入れる商品、版元から直接仕入れる商品、個人から買い取りで仕入れる商品、古書市場で仕入れる商品、海外から仕入れる商品など、色々な回路が生じるでしょう。その流れを良くするためには再販維持制度が壁になるのではないか、壁を崩すわけです。だから、委託の問題は考えなくてもいいわけです。あくまで再販維持制度を撤退の方向でスタートして、それから実際の流通問題を考察すればいいのです。
♯黒猫房主:業界の主流の発想では、法定再販制を外すと、即「買切」になるから書店サイドの仕入れが厳しくなりマイナー版元にとっての表現の自由が疎外される、また値引を前提に版元は価格設定をせざるを得ないので高価格になって読者に不利益をもたらすという論点があったと思います。この件については、僕は別途試論を準備中です。それとみんな知っているはずなのに論点にならないことがありますね? 店売でのポイント制度は問題化されても外商での値引き販売です。これを踏まえても、委託制を残す余地は充分にあると思うのです。しかしそこでの主要点は、書店・取次・版元にとっても「正味問題」だと思います。
♪葉っぱ64: >法定再販制を外すと、即「買切」になるから、いや、ぼくは委託が主流になると思う。本はやはり安いから買うものではないですね、ブックオフで鍛えられたのか、例え十円でも買いたくないなぁと思えるようになりました。安いからなんでもいいっていうわけにはいかない。他の商品なら大体代替がきくけど、本は原則代替がきかないですね。印象論ですが、ある本を千円で最初販売したばあい、五百円に値下げしたから急に売上げに変動が生ずるとは思えないんです。勿論、本によって違うでしょう。実用書は値段によって売れ部数は変わるかも知れないが、専門書、文藝書はあんまり変わらないような気がします。
♯黒猫房主:これは1000円以下の本だと、値引き率による影響はないでしょう。ところが2000円〜3000円クラスは値引率によって購入マインドが刺激されると思います。ブックオフで回転している商品(ブックオフで買ってまた売るというサイクル)と、いわゆる良質の専門書を買う読書にとって、買うか図書館で借りるかの選択肢は悩ましい問題だと思います(これは可処分所得に関係しますが)。それとは別に法定再販制がなくなると、マスセールを期待できる大手版元からは直仕入れで正味交渉するように書店はなるでしょう。そこでは「買い切る」から部数を保証しろという話になりますね。しかしここでもある程度の条件付返品ということが書店との力関係では発生するでしょう。ではマスセールを狙わない零細版元はどうすればいいのか。そこで、専門版元の流通をメインとする、かつての「鈴木書店」とか現在のJRCの存在が意味を持ってくるように思います。因みに、本日某版元の方に「再販制問題」をどう考えるかの原稿依頼(「カルチャー・レヴュー」)をしました。
♪葉っぱ64:年末になると、文庫本の白い本が売り出されますね、あれって、本であろうか、文房具でしょう。それとか、荒川さんでしたか、トイレットペーパーに印刷したもの、あれも本ですね。ハードの面での再販維持制度の保護対象となる雑誌、書籍の概念を細かく検討すると結構、荒っぽい。ソフトの面でも「ゴミ本」ってよく言われる出版物がありますが、(故ヤスケンさんがよく使っていました)、有識者たちがよく言っていることは再販維持制度を守ることは文化を守ることだと大風呂敷を広げる。ゴミも文化だろうか、本/ゴミ本っていう分節の検討も大事です。(まあ、僕の個人的意見はゴミも文化であるのですが、有識者たちはそんな風な使い方をしていない。僕に言わせれば全てのものは文化ではないのか、だから文化を持ち出しても何の意味もない)要はハード、ソフトの面からも「本とはなんだろう」という検証がされないと、議論が前に進まないのではないかという疑念があります。「ネット上のテキスト」は本という形をとらないと、本ではないのか、知的所有権の問題にもからむし、「ハッカー問題」にも接続する。「再販問題」って、どんどん、広がって行きますね。
♯黒猫房主:有識者というのは、江藤淳らが文化としての再販を守れとかの宣言を出しましたよね? しかし文化としての再販護持論はすでに論破されているように思いますよ。ところで再販商品ではないPCの純正Mac商品は、通常Macの指定した定価(標準価格)で量販店も販売しています。これがメーカーによる値崩れ防止の圧力ではないか(価格カルテル)と問題になったことがありますが、現在も定価で売られていますね。一部の型落ち機種にのみ値引きが1点ありました(ヨドバシカメラのWebサイト調べ)。この業界の実情はわからないのですが、純正Mac商品が定価販売されるのは仕入正味がWinに比べて高いからなのではないでしょうか? どうなんでしょうね。
♯黒猫房主:純正Mac商品の値引きがないのはWinのような競争がないためとMacユーザーマインドというか、ある種の文化なのかもしれないですねぇ。
★訂正★先ほど文藝家協会の声明をチェックしましたら、著作者の著作権著作者人格権の侵害を再販制によって守れという趣旨でした。文化論を盾にできないことは彼らも自覚しているのでしょう。しかし同じ著作物である映画のDVD等は法定再販商品ではありません。http://www.bungeika.or.jp/text/information/090930.htm
ところが孫引きですが、畠山貞著『出版流通ビッグバン ―21世紀の出版業界を読む―』(日本エディタースクール出版部刊)によれば、
「畠山氏は、出版業界、新聞業界、レコード業界のいずれも要求しなかった再販制度がなぜ「法定再販」の冠までかぶせて、導入されたのかという、「戦後出版販売史上最大の謎」解きに挑んだ。/そして本書第1章にあるように、化粧品、医薬品の指定再販を容認するための方便の趣で出版物の「法定再販」が導入された経緯を示す根本資料を国会図書館から入手し、これに精緻な解説を加えてはじめて明らかにしたのである。/ちなみに、昨年10月に出版された木下修氏の労作『書籍再販と流通寡占』(アルメディア刊、本体2400円)では、克明な出版物再販年表の中で、畠山氏の謎解きから一歩踏み込んで、再販制導入の舞台裏で政官財にまたがる贈収賄事件があり、各界から逮捕者が出たことをさらりと明かしている。」(村上信明 http://www.bekkoame.ne.jp/~much/dokudan/dokudan.html)とあります。興味深いですねぇ。』

 僕のブログで「再販維持制度」で検索したら、二つのエントリーがありました。
 http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20050417
 http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20050306
 上の≪化粧品、医薬品の指定再販を容認するための方便の趣で出版物の「法定再販」が導入された経緯≫について読んだ記憶があります。出版史の流れの中で再販維持制度は当然の帰結でなく、そんな土俵で商売するという観点は無かったであろうことは容易に想像出来ます。不思議なものでいざシステムが構築されると最も強固な再販維持制度が稼動したということは全国一律、どこでも公平なサービスが受けられると言った何ものにも替え難いメリットがあったからでしょう。ネットまで取り込んだ流通システムの多様化はタブー視されていた再販問題を表に上げて検証すべき時期に来ているかもしれません。まずすべきは読者、書店、取次、版元別に再販維持制度を撤退した場合の想定しうるメリット、デメリットの対照表でしょう。
Macについて値引きしないのも文化でしょうはよくわかります。ブランド商品もそういう戦略ですね。ハーゲンダークのアイスクリームは最近はどうか知らないけれど、夏場、スーパーで何割引のアイスクリームのPOPを掲げて但し例外はハーゲンダークって表示されると余計ハーゲンダークのアイスクリームを舐めてみたくなる。そこまで消費者を納得させる販売戦略は商品に対する自信がなければ無理ですね。でも本来、本はそんな拘りの集約された商品として認知されていた。かって岩波だとか、福音館書店だとか、みすずだとか、そのようなブランドとして認知されていた側面がありました。だからこそ、文化だとしてリスペクトされていたわけでしょう。
 価格によって購入動機がそんなに左右されない商品であったわけです。でも、それが、「100円だから、買って見ようかな」と、ブックオフの登場で従来の新刊、古本のメインストリートとは違う購入動機を生み出した。(ちょいと極論ですが、そんな側面があることも事実だと思う。)、実際そうやって読んだ本なのに、持っている本なのに100円だからと買ったのです。でも、通常の半額で新中古書店では買ったことがない。最初からその棚はパスしている。どうしても欲しい本はネットか、リアル書店で購入する。僕の友人達はその前にアマゾンのユースドか、日本の古本屋で探書しています。僕はネットの古本屋は利用してことがありますが、アマゾンのユースドはまだ未体験です。でも、早晩利用するだろうと思います。ネット上のテキストや電子手帳などは法定再販の対象外でしょう。そうやってみていくと再販維持によってメリットはなんだろうとチェックすると具体的に見えてこないんです。そのメリットを知りたいですね。抽象論でなく。多分取次ぎの事情だと思う。だからアマゾンのように取次ぎ依存から脱却する方向性を持っている場合、再販維持によるメリットなんてなくなってしまう。