新刊と古書の同居

 黒猫房主さんと再版維持制度についてやりとりをやりましたが、多分に業界ネタの部分があるので、マイミクシィに『再販維持制度ってナンダロウ』っていうトピックを立てましたが、こちらでも少し整理して出来るだけ業界用語を使わないで中間報告のような形で概略をアップしてみます。
 あまり話の枝葉を広げないで本日のエントリーはワンポイント、『新刊(再販本)と古書(非再販本)の同居』です。その事例として、黒猫房主さんは【1】天牛堺書店、【2】京都の三月書房を上げています。このシステムなら再販制度下でも新刊書店が古物商の鑑札を取得すれば、古書扱いにして高い値段をつけることが可能です。ちょうどさわこさんからコメントがありましたので転載します。

昨日、たまたま天牛堺書店和泉中央店を見ました。阪急吹田駅すぐ横のお店で古本と再版本とが同居しているのを見たときは驚いたものでした。
なんばにも1.2階が再販書で、3階が古書というお店が出現しました(主にコミックですが)。

 実はまだ僕は【1】の天牛堺店に行っていないので、さわこさんのレポは具体的なイメージを得るのに助かりました。僕や黒猫房主さんのようなおじさんはコミックに弱いので同じ書籍流通と言ってもコミック流通の激変ぶりは検証仕切れていないところがあります。今、難波(日本橋電器屋筋)の方は秋葉原と似た萌えキャラ、フィギュアの店がどんどん増えています。上のさわこさんのレポは信長書店>」「K−BOOKS」のことでしょう。「まんだらけ」、「信長書店」、「k−books」とミナミは梅田と違った商圏を作り上げているみたいですね。フィギュアに関する考察も興味があるのですが、それはさわこさんにお任せします。このブログでも散々やりましたね。
 【2】の三月書房さんの方式は神保町にある八木書店の「バーゲンブック卸」部より仕入れる自由価格本(「ゾッキ本」)で、あくまで新刊書店で売れ残りでショタレになった本を(これでも再販本です)割り引いて売るのではないのです。最初からバーゲン用に仕入れた自由価格本なのです。
 2005年春号の『本とコンピュータ』の記事「座談会 新刊を売るだけが、書店の仕事じゃない」で、そのような書店事情が具体的にアップされています。紀田順一郎×宍戸立夫(三月書房)×深谷保之(東京堂書店)×福嶋聡ジュンク堂)さんたちがやりとりしています(81〜7頁)。
 元の値段の半値以下で買えるのはお徳感があるのでしょう。クロニクルに言えば1994年、「バーゲンフェア」をやった仕掛け人は当時リブロ池袋店にいた店長の田口久美子で彼女がジュンク池袋店の副店長としてトラバーユした折、1997年にオープンしたジュンク池袋店で「自由価格本コーナ」を設けたと福嶋さんはおっしゃっている。
 東京堂書店の場合は昨年、本店前に「ふくろう店」をオープンしてバーゲンブックを主に取り扱っている。本店の方には文庫専門の「ふるほん文庫やさん」コーナを設けて二千冊ぐらいの絶版本を置いている。この仕掛け人が紀田さんなのです。こちらは古書扱いですね。
 大きく分けて非再販本は【A】自由価格本、【B】古書本と分類すればいいのではないか。【C】ただ、時限再販(一定の期間を経た出版物の再販を外すこと)については、実際の店頭でどのように扱われているか具体的にわかりません。現役の人にお教え願いたいですね。
 ここまでは何とか理解出来ますが、著作権法の問題がからむとムツカシクなってくる。白田秀彰先生の専門分野だと思いますが、今、ホームページを拝見するとシャーロック・ホームズにおなりになっている。しかし、先生の『ハッカー宣言』への誤解説は面白かったです。それに関連して室井尚に食いついた山形浩生さん、それと松岡正剛千夜千冊1065夜『ハッカー宣言』の書評知的所有権をめぐって学習してみたい気になりましたね。再販の問題も根底にあるのは『ハッカー階級対ベクトル階級』の問題かもしれないが、そうすると話がラディカルに大きくなってしまう。そこまで拡げないで、あくまで出版流通という小さなマーケットで商品という本を消費者の目で見たいのですがどうしても読者の目が大きく立ちふさがって商品として見切れない本の不思議さを、数量化出来ないかけがえのないコンテンツは商品を逸脱する過剰さがある。まあ、そこが本の面白さでしょう。
 追記:さわこさんからバーゲンネット情報がコメントされました。部分再販品もリストアップされていますね。⇒http://www.bargainbook.jp/mlsbin/wb_top
 参照:http://homepage3.nifty.com/n_yoshida/shuppan_ryutsu_1990s.pdf