武田徹羅針盤

増補・改訂 日本マスコミ『臆病』の構造

増補・改訂 日本マスコミ『臆病』の構造

 マンションなどの耐震強度偽造問題は連日報道されていますが、こんな杜撰なことが平気で出来得たという事実に驚くし、痛ましい殺人事件となったマンションもオートロックが実際に意味をなしていなかったし、安全・安心は単なる題目で工学的セキュリティは簡単に経済原則の下に自在にレベルがアップ・ダウンするのでしょうか。建築業界だけでなく、他の業界もそうですが、チェック機能が働いていないのですね、暗澹たる思いです。今日、図書館の新刊棚に『日本マスコミ「臆病」の構造』(改訂版)*1というベンジャミン・フルフォードが書いた本を借りて電車の中で読み始めたのですが、意外と説得力があるんですよね。こんな世相だからかもしれない。彼は「政・官・業・ヤクザ」の鉄の四角形が日本を破滅に導こうとしている。その警鐘の書だと具体的に記述しているのですが、結構、思い至る節があります。彼は情報取材で一番、信頼出来るのは右翼の街宣車で次に週刊誌と夕刊紙。そして大手紙や民放テレビ、最後がNHKですって(笑)。
 こんなわからぬ報道では例の如く武田徹オンライン日記で頭の整理をする。まさに僕にとって都合のいい羅針盤ですね。

耐震強度偽造事件で、姉歯というひとは露出量がすごく多くなっているが、殆どが使い回しの映像なので実はそう多くを語っているわけではない。その映像を収録したコメント取材の時期がいつだったのかも分からないが、世間の大騒ぎとはあまりにも対照的に淡々と語る表情の背景事情は殆ど分からない。そもそもなぜ取材を受けたのか。何か訴えたいことがあったのか? あれほど多くの偽装を請け負いながらなぜプレハブ建築のような建築事務所なのか。どこかワケありだったように思ってしまうのだが、気のせいなのか。そもそもどんなひとなのか。どんな経緯を辿ってきた人なのか。
日本の建築士は、設計を独占する権利のみを与えられていて義務を果たしていないという説を読んだことがある。設計した建物に事故があった場合、設計した建築士が責任を負う国が多いのに、日本はそうではないのだとか。そうした無責任体制の問題が今回の事件の背景にはあるし、そんな無責任な資格を認めてきた、これも権力を行使はするが、その責任は取らない国の問題も絶対にあるのに、なぜそこは話題にならないだろう。被害者の中には国の責任を口にするひとがいたけれど、メディアは全然そっちを向かない感じ。先の姉歯の人間像を描かないところもふくめ、ごくごく狭い範囲でしか取材や報道をしていない。動きを禁じられているのか、自制しているのか、力を失ったのか、いずれにせよなんだかすごく不自由な、印象がある。せめて姉歯という建築士が放送されたカットの前後で何を話していたか、それだけでも明らかにならないだろうか。姉歯/11/22より

 このエントリーを全文引用してしまいましたが、どうしてマスコミがかような方向性で報道出来ないのか、だからこそ、カナダ人のジャーナリストにこのような本を書かれてしまうのでしょうね。こちらも請負、下請けの構造だもんね、建築業界だけでなく、メディアも無責任体制が染み付いているとしたらこれは怖い、組織が組織を滅ぼす元凶になり得るパラドックスに一日も早く目覚めて欲しいものです。チェック機能の働かない組織は信用できない。恐らく、護送船団方式というみんな一緒に滅びましょうという責任の取り方があるのかもしれないが、記者会見で困ったときは安易に「公的資金導入」を軽々しく言ってしまう業界関係者の御都合主義には暗然とします。一方で「小さな政府」を欲しながら困ると「大きな政府」を期待する。まあ、そのような二つの法体系(表舞台と裏舞台)で政治をするのは一概に悪いとは言えないが、あまりにも節操がなさすぎる。
 せめて、マスコミ人だけでも、組織防衛を第一としないで、会社よりも、国よりも大事なものがあるんだという気概をもって報道をしてもらいたいものです。ジャーナリストの生き方は結局一人であることによって、「言葉の王」になれることなんでしょう。それは作家であれ、学者であれ、言葉を生業とする人は、みんなそんな野望を持っていたはずだ。山河が滅びても言葉は残る。三島由紀夫にしたところで、単なる愛国者ではないと思う。もし言うなら彼は自裁することで「言葉の王」たらんとしたのではないか。
参照:バブルの構造 - 風の旅人 編集便り 〜放浪のすすめ〜