走れ、走れ、コウジローン

 『風の旅人 17号』を購入しました。画像の一部ははこちらでクリックしてご覧下さい。前日のエントリーに続いて「おから工事」を許容する「経済設計」の欺瞞について考えていたら、この雑誌に収載されている武田徹の『自動車の欲望』は幽霊のジャーナリストらしいエクリチュールで今回の姉歯事件につながる問題の有り様を指し示すとてもコンパクトなテクストです。彼は最初の自動車時代の政治家としてヒトラーをあげヒトラーマニフェストは【A】自動車交通を従来の交通の枠組みから分離し、大規模な道路建設計画を立案し、実行すること、【B】自動車税を漸次低減させてゆくことであり、彼が首相に任命された1933年のことです。Aがアウトバーンに結実し、Bが国民車構想で労働者に余暇を利用する目的で週5マルクの貯金で四年七ヶ月後に国民車を手に入れるプランです。

 彼がそこまで自動車にこだわった理由は何だったのか。自動車は人間の環境に対する支配欲を充足させる。空間内を自由に動き、早い移動を実現して時間の支配者にもなりたい。(中略)もちろんその欲望は自動車だけで実現されるものではなく、高規格の道路をも必要とした。国民車構想とアウトバーン計画はまさに表裏一体の政策だった。
 しかし、そこで自動車は自由を実現させるかのように見えて、実はドイツ国民から自由を奪っている。 

 そんな論及からエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』をテクストにドイツ国民がナチス政権を民主的な方法で選んだ構図を示す。ここまでは、僕にとっても何十年前の学生時代から自明のこととして了解があります。近代化、個性化の過程で自由を得たドイツ人が、むしろその自由に苛まれ、自ら望んで自由を手放して行く。
 四十年の欧州戦線が激化して国民車構想が軍用車に転ずるのです。既に貯蓄プランに総額二億八千マルクが払い込まれていたと言う。だが、戦後、自動車と道路に関するプランは死ななかったのです。「フォルクスワーゲン・タイプ?」は約2153万台も生産され、単一車種としては未曾有の大記録だと言う。同じかっての枢軸国日本でも55年体制の始まりに通産省が国民車構想を発表した。四人が搭乗した状態で時速100km、販売価格が25万円以下。

 馬の鼻先にニンジンを吊るすように、自動車を望む欲望の前に自動車の所有をちらつかせる。そうして駆り立てられた人々が、その過程で自分たちが何を喪失するかについて失念して行く。そんんな展開は日本でもありえた。

 一体、「自動車の社会的費用」はどの程度であろうか、すなわち、社会が自動車を選択したために失ったものを、もしも失わずにいたかったら幾ら必要かというコストです。そうすると、宇沢弘文が74年に刊行した『自動車の社会的費用』によると、一台当たり年間200万円という数字が導かれたのです。運輸省は68年の試算で7万円、何と自動車工業会はたったの6622円(71年)なのです。そして、もう一つの大きな欲望は家を所有することでしょう。長期ローンで絡めとられる。この国の戦後は車と家を買うために生きる、そのコンセンサスは幸せの青い鳥としてみんなで(ほとんど)了解していたのでしょう。

 自動車がなかったらあり得たかもしれない世界を想像する力、その「世界」との「差分」としての自動車を受け入れたために失ったものに気付く力、そして失いつつあるものを失わずに済ませるために現実を変えて行こうとする意志の力……。そうした三つの力を自動車は去勢してしまう。

 自動車を家に置き換えてみたらどうだろう?どうして貸家でなく家は所有しなくてはならないのだろうか、不動産としての担保価値を何故土地に過大評価したのか、不動産神話はバブルの拠所であったのでしょう。お金は何を信用して動くのだろう、お金がお金を信用して動くのも危うい、不動産も信用ならないとしたら、速度と交通のシステムにもおさらばして仮住まいで自給自足の生活を希求するしかないのですかね、『風の旅人 LIVING ZERO』によれば、現在、チベット人の85%は自給自足の生活を送っていると言う。呂楠の写真を見ると、彼らの表情の豊かさに圧倒される。でも、もう後戻りは出来ないのだ。加速する「速度」を減速することも恐らく、許されない。