平和に耐えるということ

 保坂和志さんの保板(1/31)に書き込みしたこととちょいと重複するのですが、犬さんという方が保坂さんがほぼ日刊イトイのエッセイ『経験論』宮台真司さんと対談したとの経緯を読んで、その内容を知りたいと保板にカキコしていたので、あ!そうだ僕も気になっていたんだと思い出したのです。
 何故、僕が気になっていたかと言うひとつに『文芸評論家の加藤弘一のほら貝』での保坂さんが語る宮台さんに対するスタンスの相違です。それは『平和に耐える思想』についてですが、宮台さんの決まり文句『終わりなき日常を生きよ』とどう違うのか、それを保坂さんは「平和に耐える」とは自分に向かって言っている、平和な状態であっても意味を作り出さなくては「戦争を待望するような人間になってしまう」、そんな縛りを自分に課しているということなんでしょう。それに比べて宮台さんは「終わりなき日常」をはたに向かって啓蒙として発信している。自分を受け手として悩むわけではない。宮台さんは命令として発信し、保坂さんはこれしかないというやむにやまれぬものとして受信する。もし「終わりなき日常」が「平和に耐える」ことと重なるならそれは当然の背負い込まなければならない課題だという覚悟だと思う。要するに保坂さんは戦争が嫌いなのです。でも、ひょっとして宮台さんはそうじゃあないかも知れないという疑念があるのです。現在の宮台さんは結局「終わりなき日常を生きよ」なんていう啓蒙は無理と観念したわけでしょう。そのことに関して例えば新刊の『限界の思考』で北田暁大さんと対談して、こんなことを言っている。

言い方を変えると、日々の糧に困らず平和に生きられれば幸せになれるタイプを「内在系」の実存と呼び、それだけでは足らず<世界>や自分の究極の意味を考えてしまうタイプを「超越系」の実存と呼ぶと、「超越系」の連中はじつに「アブナイ」けれど、その手の連中は社会から絶対にいなくならないから、上手に善導する必要があるということです。
 僕は、中学高校や大学を通じてフランクフルターにハマり、そのあと卒業したつもりでいました。ところが、八十年代なかばから性のフィールドワークにかかわり、それにつづいて宗教を調べるようになって、「全体性は断念できない(から安堵するしかない)」というフラクフルターの基本的発想の深さを、しみじみと考えるようになりました。(188〜9頁)

まあ、僕は「平和に耐える」ということは「全体性」につながる営為だと思っているから、この文脈での宮台さんの「終わりなき日常を生きよ」「平和に耐える思想」とは全く似て非なるものだと思う。

 九十年代のなかば、ブルセラ援助交際の女子高校生らを世間に「紹介」していた頃、僕は彼女たちの姿に、全体性を断念しつつ――それどころかそんなものについて考えたこともないまま――高度な流動性を乗りこなす理想的存在を見いだしていました。流動性をモノともせず、「内在系」の実存を生きる「オバちゃん的」存在ですね。
 だからオウム真理教地下鉄サリン事件が起こった直後、「オウム(超越系)死してブルセラ(内在系)残る」という、認知的(予測的)でもあり規範的(べき論)でもある命題を掲げた『終わりなき日常を生きろ』という書物を、世に問うことになったんです。でも予測ははずれ、世の中は元ブルセラを含めてメンヘラーだらけになりました。

 僕はこのあたりのことが気になってはいたのです。

『絶望 断念 福音 映画』のあとがきに書いたけど、過剰流動性下での入れ替え可能化にもかかわらず、不健全な「超越系」に向かわずに健全な「内在系」の実存を人は容易に保ち得るのだ、という想定には、無理があったんですね。結局、僕は「全体性は断念できない」「超越系は世の中に大規模に生きつづける」という、フランクフルターの想定に戻りました。

 そして、その超越系の、全体性の回路を国民国家へと流し込まないために宮台真司「あえて」する戦略(徴兵制に言及したり)を取っているらしいのです。このあたりが難解で北田さんも手を焼いているみたいだし、『波状言論S改』でも大澤真幸さんはそんな宮台さんを危惧している。そのあたりのことが、保坂さんを媒体として聴けるのではないかと思ったのです。
 でも、保坂さんのレスで宮台さんと対談したのは2004年秋だと言う。賞味期限切れになったのではないかとおっしゃるのですが、そうなると益々内容を知りたくなりますね。

限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学

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