無為に書いてみました

 web草思『保坂和志/途方に暮れて、人生論』が更新されましたね。相変わらずの辛辣さで、思わず僕も若い人たちに、大人たちや僕も含めて年寄りにも出来る小説を書いたりブログを書いたりして喜ばないで、「無為に遊ぶ」時を楽しんで下さい、若いときの不安と不安定に曝されるかけがえのなさを大切にして下さいと、言いたいのですが、そのような風潮の一端を担っているかもしれない僕なのであんまり言えないですね(笑い)。
 でも、フィギュアスケートだって、小説だって高校生、大学生だって超一流でデビューするもんだから、「無為に遊ぶ時間」はもっと時間を遡って小中よと抗弁する人がいるかも知れない。一方で、長寿大国は進行中で還暦越えた僕のような人達がもはや、「希望」も「可能性」も語らないで何とはなしに「無為」に過ごし始めた。
 昼間、映画館へ行くでしょう。僕と同年位のシルバー料金のおじん、おばんが殆どです。学生が少ないですね、熱心に講義を聴いているか、アルバイトに精を出しているかどちらなのでしょうか、「無為に苦しんでいる、悩んでいる若者」には会います。ニートとかhikikomoriとか名付けされているみたいですが、「無為を楽しむ若者」には最近あまりお目にかからなくなりましたね。
 前日、オブローモフのことを書きましたが、今でもDVD『オブローモフの生涯』を見ることが出来るんですね、『オブローモフ主義とはなにか』(岩波文庫)なんてもあります。
 落語の世界で極道の若旦那がよく出てきますが、そうやって無為に蕩尽してくれるバカ息子がいないと、富める人が益々富み、貧しい人が益々貧しくなる。お金持ちの贅沢を嫌う人がいますが、僕は大歓迎です。金持ちで吝嗇家が一番困ります。どんどん使って二代目、三代目が家産を食い潰す、その若旦那達が書画骨董に、まあ、文化投資ですか、そんな蕩尽をしてくれれば申し分ない。
 プーシキン美術館展でのセルゲイ・シチューキンとイワン・モロゾフのコレクターは家産を食い潰しはしなかったけれど、もはやそういう時代ではないのでしょうか、下で前にエントリーしましたが個人投資家の若者で50億円儲かったけれど、株投資がやめられない、ちっとも楽しくないんだけれど、やめられない、苦しいぐらいだ、息抜きに散歩をするくらいだと、インタビューに答えていたが、そうなら、思い切って映画の一本でも作ればと思っても、本人は恐らくそんなことには興味がないでしょうね。多分、貨幣さえも欲望を掻き立てられないで、数字のみを追いかけるリフレインの永久運動に身体毎嵌っている。
 そういうのは本当にお手上げですね。六本木ヒルズに「有料図書館」(本も売っているそぅです)が出来たでしょう。庶民にとって高嶺の花かもしれないし、僕にとっても全く縁がないとは思うが、会員制のゴルフクラブのノリで、京阪神でもどんどんできればいいと思う。本心は「羨ましいなぁ」と妬むかもしれないが、少なくとも金の流れが文化投資にまわるわけです。表向きは大歓迎です。こんな図書館ならボランティアで働いてもいいなぁ、そうすればどうどうと利用できる(笑)。
 教養主義の没落は大衆社会の中では当然で、そんな大衆社会の感性を逆撫でするような振る舞いでしか、例えば街の本屋、図書館にしろ、文学、人文棚が減ってゆく状況を阻止できないと思う。「有料本屋」のノウハウはまだ難しいので、「有料図書館」ですね。マジにこのプロジェクトを立ち上げてもいいなぁ、北梅田あたりは最適だと思う。最後の大規模な再開発の地ですからね。
 というような夢を語ってみました。
 2007年になると、「無為の大人」達が世の中に溢れます。「金の使い方」の選択肢の一つとしてインターネット・コミック喫茶に伍して、「24時間利用会員制有料図書館」を立ち上げるのです。そういう土俵が出来れば点火して「無為の若者」に様々な喜びを伝えることになるかもしれない。苗床を育てる手間隙をかけないと「教養という名の無為」は消えて行きます。
オブローモフの生涯より [DVD]オブローモフの生涯より [DVD]オブローモフ〈上〉 (岩波文庫)オブローモフ〈中〉 (岩波文庫)オブローモフ〈下〉 (岩波文庫 赤 606-4)