簡単で別な姿の世界

 一昨日、梅田での「稲葉振一郎×立岩真也トークセッション」を終えて地元の自治会の会合に出たのですが、「ゴミ減量推進委員」にプラスして「白バラ委員」も引き受けざるを得なくなった。でも、「白バラって何でしょう?」、長野県議会でもめていますね毎日新聞にこんな記事がありました。『選挙:知事選 白バラ会が出馬要請、高木県議は固辞 /長野』、まあ、僕は長野県民ではないけれど、田中康夫はよく仕事をしていると思いますね、bk1投稿でこんなことを書いていましたね、僕のは書評なんていうものではなく、本をダシにしたブログ語りだなぁ…。
 どちらにしろ、自治会の仕事は交通費も出ない持ち出しのボランティアです(苦笑)。
 昨日の立岩さんの話は主に「働く」ことについてでしたが、立岩さんの語り口はそのまんま、本の文体を体現している。第一点、第二点、…、…、と整理して話してくれるのです。テーブルにはA4の白紙の用紙を並べて逐一メモしている。でも、話出すと、段落がなが〜いのです。丁寧に、様々なものを拾いながら出来る限り明晰に誠実に喋ってくれる。好感が持てました。

[…]働きたいと思うのは、かりに所得の分配が十分に行われたとしてももっともなことであり、そして現実には十分ではないのだからなおもっともなことだ。
 では何がなされるとよいのか。環境を整え、能力を高めるという方策に限界があることについては既に述べた。他にどのようなことが行われてきたか。「完全雇用」を実現するのだとして―はたしてそのためであったかと言えるかどうか、これはよく考えるべきこととして残るのだが―これまでずっと生産を拡大し消費を拡大することが政策として行われてきた。しかし、この方法は使うべきでなく、そしてとくにこの社会にあってもう使えない。生産は足りている。正確には増やすことについての正当性が調達されえない(序章3節2・3)ー『自由の平等』p239ー

 でも、あるセミナーで、株の神様ジム・ロジャーズの話が出て、21世紀は『商品の時代』だと言う。少なくとも2020年まで地球規模で言えば商品が足りない、生産が追いつかない、まあ、このあたりになれば、日本のGDPは中国、インドに追い抜かれるでしょう。閉ざされた日本の中では生産が足りているにしても、中国、インドの人々の欲望ははっきりと目に見える「商品」なのです。ただ、生産拠点が人件費の安い国にシフトするから、完全雇用が難しいという筋道でしょう。だからと言って、年寄り達が実費だけのボランティアで生産に携われば労働市場を混乱に陥れる心配がありますね。88歳の老母が「電話セールス」なら若い子たちより出来ると豪語しています。地方テレビで80歳を越えた女子アナが紹介されていましたが、人気があるらしいですね、よく昼間、「電話セールス」で老母が出るのですが、一方的に喋るトークに「これじゃあ、セールスになんない」、「私の方がうまい」と言うのです。相づちを打ちながらゆっくりやりとりをする、それが出来ていない、まあ、電話では顔が見えないから、年寄りの方が営業効果があるかもしれません。結局、企業で重要な仕事のひとつは営業でしょう。でも、営業を第一志望にする若い人たちが少なくなったのでしょうか?とくに営業は年齢はあまり関係がないですね。天下りの問題も結局は営業が見込まれるからであって好き好んで天下りを受け入れているわけではない。

 とすると残るのは一つになる。生産が足りている社会において失業があることは、全員が働かなくとも生産がまかなえているという意味で基本的にまったく好ましいことである(「2000a」)。と同時に、働くことができ、働きたい人がいる。ならば労働を分配すればよい。
 これに反対するかもしれないのは既に職を得ている労働者である。仕事を得られた人が収入を得られる、多く働く人が多く取れるという規則になっているとき、長い時間働いてもそれで得られるものが多くなる方がよいと思う人にとっては、他の人を働かせず自分が余計に働いてその分を自分のものにできるのが望ましく、他の人が自分の仕事に参入してくることは歓迎できないことがある。
 しかし、働く働かないにかかわらず分配なされることになっているなら別だ。本書で主張されたのはこのことである。仕事をしている人だけに暮らせる権利があるのではなく、仕事につけなくても暮らしていけることが基本に置かれる。何かに恵まれて失業していない人は仕事から得たものから仕事をしていない人に贈与しなければならないとしよう。これはひとまず労働市場自体はそのままにして、失業者には所得保障で対応するというものだ。基本的にはまったくそれでよいとしよう。このことを認めるなら、労働の分割・分配は既に職を得ている人たちからも支持されるだろう。所得保障だけを認めるなら、仕事を得ている側にとっては、自分だけ働いて負担することになる。同じ手取りなら、仕事の一部も渡した方がよい。例えば、稼ぎのある一人は稼ぎのないもう一人に本来自分の稼ぎの半分を渡さなくてはならないのだが、ならば仕事も半分してもらった方がよいということである。つまり、基本的に分配が行われるべきとする前提をとるなら、ただ分配を受け取るだけの状態に人を置くより生産・労働を担ってもらった方がよいのだから、労働を一部の人が独占するより多くの人に分割した方がよいということになる。(p240)

 ただ、これを協同組合方式でやったって外に拡がらない。市場に太刀打ちできなくて護送船団で沈没となりかねない。世界同時に一緒にやりましょうでしか実効性はないであろう。難しい。
立岩さんの話でせめて、医療保険に関してはそんな地球規模のシステムが一本化すればいいですね。