ドードーのいた日に飛ぶ

 リリー・フランキーの『東京タワー』は泣き笑いの読み手を感情移入しやすいストーリーが進行して、それぞれの自分を「ボク」に重ねて、それぞれの「オカン」、「オトン」のエピソードを思い起こして、ボクである僕の親不孝を恥じるばかりなのですが、とうとう、終局でオカンはガン宣告で入院する。リリー・フランキーである雅也君はオカンが退院をして、一緒に暮らす終の棲家として中目黒に三階建ての一軒家を見つける。この家を借りるもう一つの理由は歩いてすぐのところに「蛇崩訪問介護ステーション」という看板をみつけたからであると書く。蛇崩ってichikinさんの『蛇崩川、どぶ禄』ではないかと、あのあたりの風景を思わずグーグル検索してしまいました。暗渠なのです。
 そうしてこのまだ家具もないがらんどうの新しい家でオカンの葬儀を執り行う。
 喪主の雅也君の挨拶がいい、オカンが毎日使っていた椿の絵のついた御飯茶碗が、その場で割られる。

「本日は、皆様、ありがとうございました。オカンが、いつも言っていたことは……。いい家というのは、立派なお屋敷だとか、そういうことじゃなくて、いつも人が訪ねて来てくれる家のことだと……そう言っていました。オカンはもう、いませんから、おもてなしすることができないかもしれないですけど……、お近くにお寄りの際は、ここにお立ち寄り下さい。ボクがなにか、ヘタくそですけど料理を作りますから……」

 オカンは百年もののぬか床で茄子、胡瓜、様々な野菜を食べる時間に合わせて午前三時であろうと漬け込むのです。凄い手間暇かけた漬け物です。料理の点数も食卓にずらりと並べて、息子の友達たちを歓待する。原稿とりにくる編集者にも「食べていきんしゃい」と供応するのですから、畏れ入る。ここに暮らしがある。
 そんなことを思いつつ本書を気分良く読了したのですが、風の旅人ブログが更新されていたので、覗くとアルバイト募集をしている。介護会社のPR誌の制作をもやっていたのですが、今度新たに葬儀会社のPR誌も制作するとのこと、ここの葬儀会社のコンセプトが「死者を泣き笑いで送り出す」ということなんです。
 アルバイトの募集は二名ですって、アルバイトから正社員への登用もあるとのこと。
 僕の方はこの一年間、自治会で訃報の担当をやらされましたが、毎月一件は訃報がありましたね。入会している軒数はだいたい640軒です。

母親というのは無欲なものです
我が子どんなに偉くなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれる事を
心の底から願います
どんなに高価な贈り物より
我が子の優しいひとことで
十分過ぎるほど倖せになれる
母親というものは
実に本当に無欲なものです
だから母親を泣かすのは
この世で一番いけないことなのですー(p442〜3)ー

 まいったね、しかし、よく考えればこの本の初出は『enーtaxi』なんです。ちゃんと創刊号を買っているし、bk1にも投稿書評している。にもかかわらず、この長編連載エッセイ『東京タワー』の第一回を読んでいないのです。本棚にあったので、今初めて確認しました。責任編集は柳美里福田和也坪内祐三リリー・フランキーだったんだ。ドジなオヤジです。そもそも、リリー・フランキーの書いたものを読んだことがなかったのです。