サイードの腕時計

腕時計と寓話

 新たに「付箋」というカテゴリーを追加しようと思う。今月号の「風の旅人」で保坂和志『数々の言葉』でこんなことを書いていました。

 私は芸術家や哲学者たちの言葉が好きで、けっこうノートに書き留めたり、本に付箋をつけたりしている。それらの言葉は勇気や考えることの展望を与えてくれる。/今回は書きためてきた言葉の一部を並べることにしようと思う。中にはこれまでに他のエッセイで引用したものもあるけれど、出会う場面が違えば沸き起こる気持ちも違うのではないか。

 まあ、このブログでもよく引用していましたが、より積極的に引用しようと思い定めたのです。で、カテゴリーを追記というわけ。勝手に「サイードの腕時計」というタイトルを付けましたが、サイードの本文にそのタイトルがあるわけではないのです。偶々任意にパラグラフを選択したのであって、サイードの『遠い場所の記憶』の中で、読了したら忘れてしまうようなささやかなエピソードの部分です。遠い場所の記憶 自伝

 わたしの腕時計には、これらすべての背景となっている基本的なモチーフが刻まれていた。それはこのシステムを整然と機能させている一種の非個人的な規律だった。余暇というものは、そこにはなかった。早朝を過ぎてもパジャマにガウンを羽織ったままでいることを幼い頃に父に禁止された記憶が、今も驚くほど鮮やかに蘇る。スリッパは特に軽蔑された。わたしは今でもドレッシングガウンのままゆったりと時を過ごすということが全然できない。時間を浪費しているという罪の意識に、怠惰に流れているという気持ちが重なって、どうにも我慢できないからだ。この規律を回避する手段として、病気になるという手があり(ときにはそのふりをすることもあり、また症状を大げさに訴えるという場合もあった)、それにより学校を休むことが肯定的に容認された。わたしが不必要な包帯を指やひざや腕に巻かれることを特に嬉しがり、懇願さえするということが家族のジョークの種になった。そして現在、いやに皮肉なことに、自分が白血病という御し難く始末の悪い病気を患っていることを知ったわたしは、現実から逃避するかのようにこの病気のことを頭の中から完全に追い払い、これまで通りの一日の時間配分を維持しようと努めている。この試みはかなりの成功を収めており、五十年前に学んだ「遅い」という感覚や締め切りという感覚、そしてあの十分に達成できていないという感覚が、自分の中に驚くほど深く刷り込まれていることを実感している。しかし、また別の角度から観れば、この義務と締め切りで構成されたシステムが本当にわたしを救っているのだろうかと密かに自問することもある。もちろん、わたしは自分の病気が目に見えないところで忍び寄ってくるのを知っている。わたしがはじめてもらった腕時計が告知した時間よりは、ずっと狡猾にこっそりと忍び寄ってくる。それをはめていた当時はほとんど意識しなかったが、その時計はわたしの死すべき運命を正確に数量化し、それを完璧に一定不変の間隔をおいた未達成の時間として分割し、延々といつまでも刻みつづけていたのである。(119〜120頁)

 縛りとか、ディスプリン(discipline)、作法、あるフレーム(額縁)で囲繞されていても、だからこそ自由を感じるというパラドックスは「公」の問題につながると思う。「安全・自由」はそのような「公」の中でしか生きながらえることしか出来ないものなら、秋嶋さんウラゲツさんの言うように無数のサブパブリックを、腕時計を用意してその都度取り替える技を身につけなくてはならないかもしれない。
参照:一億総作家状態 : 新・秋嶋書店員日記
   サブパブリックの席捲 : ウラゲツ☆ブログ