闇打つ心臓

 モーニングショーで朝10時、梅田ガーデンシネマで長崎俊一監督の過去エントリーに書いていた「闇打つ心臓」を見る。確かに映画だからこそ出来た表現手法ではある。ドキュメントとストーリーと時間と空間と様々な位相が錯綜して、かって同じ監督による、同じ俳優による23年前のフィルムが23年後の内藤剛志室井滋となって、演じる。そしてその扉に接して若い俳優、本多章一江口のりこが23年前と似たシチュエーションで自分たちの幼い子供を殺して逃げる男と女を演ずる。
 感想を述べるための言葉が今のところみつからないですね。確かに保坂和志の言うように「この映画は強力な力業によって映画というものが存立する基盤を推し広げた。」ことは間違いない、ただそれが、僕にはあまりに力業過ぎて、今のところ言葉が出ないというところです。パンフにあった本谷有希子の言葉「男女四人の尻の生々しさがすべてを物語っている。どこにも行き場のない人間はとりあえずこの映画を観に、映画館へ来ればいいんです。」、そう尻の後ろ姿の男と女は、特に若い二人はまるで相似形で性差を飛び越えて一対でした。下から陽が昇る。
参照:保坂和志公式ホームページ「パンドラの香箱」【パンドラの香箱】より、「全編を貫いている暗い力」(4/11)