■
[web2.0]好きって言ったらもっと好きになっちゃいましたw
一日中、雨が降っていました。
ヨーロッパの文学の発生は、日記か説教の2つをルーツとしています。日本も女房の日記文学から始まりました。だから、いまブログで起こっていることも小さな出来事ではないでしょう。実際の文学の歴史では成立まで数百年かかりましたが、インターネットはどのくらいの新陳代謝能力を持っているか分かりません。ひょとしたらインターネットの1時間は1年か、10年以上かもしれない。しかし、『土佐日記』がジェンダーをひっくりかえし、「仮名」という決定的フォントを定着させたようなことがブログに起こっているかというと、まだそこまで進んでいません。ー『web2.0への道』の松岡正剛へのインタビュー記事(107頁)よりー
2ちゃんねるに関してはいまだにどのようなシステムになっているかようわからない。PCを始めた頃は好奇心で時々覗いていたのですが、名無しさんが宮崎駿の「カオナシ」キャラに見えて、その群れをなす名無しさんに圧倒されて識別出来ず、せめて識別出来るハンドルネームがあればいいのにと、愚痴りながら、一応は関心のあるスレを時々ロムしていたのですが、判読できない文字記号に遭遇したりして目がちかちか、涙目となり、本を読むより疲れは倍加したので、次第にロムするのが疎遠となり、いまではまるっきり訪問もしなくなりましたね。
先日、そんな2ちゃんねるが生んだ話題の『電車男』がブックオフの百五円コーナーにあったので、買って帰り読み始めました。最初どうやって読むのか戸惑いましたが、スレの掲示板をそのまんま編集しているのですね、いや〜あ、敷居の高い疲れる編集だなとげんなりしましたが、なんとか読み始めると、面白い、名無しさんたちのカキコがノイズに聞こえていたのに、「電車男&ヘルメスさん」のラブストーリーになくてはならないギリシャ劇のコロスのような存在になってきたのです。
本当に彼らの声が聞こえそうな臨場感があるのです。中心の純愛物語はどこにもありそうな、(でも、今の時代では珍しいのですか?)変幻自在の出来事が起こるわけではない、が、不思議と泣き笑いの琴線をふるえさせるのです。やはりコロスとしての無数の名無しさんたちが読み手の僕にも感じさせ、やがて僕もその名無しの一員になっているという奇妙な一体感が段々とわき上がってきたからでしょうか。
なるほど、マイミクでマニアックな映画好きの青年が全く期待しないでひょんなことでこの映画『電車男』を見たら、面白くてびっくりしたと、メールをくれたが、素直にDVDを借りて見てみようかという気にさせてくれました。
間違いなくこの世界は「web2.0」への道ですね。
尾ある人、井より出で来りき。その井に光りありき。汝は誰ぞと問いたまえば、僕は国つ神、名は井氷鹿という、と答えもうしきー『古事記』よりー
本書の最終章の決め台詞はこうなっている。
「とにかくおまいら外に出てみろ」さあ、光射す彼方へーー
京浜東北線でー王子へーーーキタ!……→…