新刊書店風古本屋・自由フォーラム事例研究(2)

コルシア書店の仲間たち (文春文庫)
 村上信明氏の記事は『東京・目黒/自由フォーラムの事例研究』ですが、長文で詳細に掲載されている。十年以上前なのに、今、読んでも劣化していない。僕自身がかって丸山氏に聴いた話を挿入しながら、僕なりに今の出版流通というレンズを通して梗概致します。興味のある方は図書館で検索して下さい。1994年12月1日、第2094号の紙面です。
 一号店の『あるご書店―ARGOT―』は、1979年開店です。ある古書店というオヤジギャグです。でも、この一号店は今では撤退していますが、追記:(そう言えば開店時、棚を工面するのに、僕の部屋にあった書棚を二本と蔵書をまとめて売った記憶があります。僕も彼と一緒に新刊書店で働いていたのです。もう30年以上前w)
『「カバー、おかけしますか?」』で紹介されているように、ブックカバーの第一回書皮大賞を授賞した記憶される古本屋(10坪)なのです。同じ祐天寺に『あたた書店』(20坪)があります。
 当時の店舗数は5店舗ですね、社員数は10人でパートが3人です。こちらの社員たちと社長である丸山氏とのコンミューン的な経営のやり方は1998年に文芸別冊の追悼特集『須賀敦子』で須賀さんに関するインタビューの中で、須賀さんは『自由フォーラム』を『コルシア書店』のイメージとだぶらせていたんではないかと語りながら丸山さんはこの店の成り立ちについて書いている。
 もうすでに、店舗数も増え、社員は20名になっている。須賀さんのエマウス運動に似た子ども会の活動を学生時代、丸山さんはセンセイとして手伝っており、その彼らが大人になって、会社勤めを始めたが、なんか違うと、自然とこの古本屋に集まり出して、そうなら、運命共同体で一緒にやろうじゃあないかと、一番いい方法は株式会社にするのがよい、そのかわり、各自全財産を出す。元暴走族はバイクを供出するとか、そうやって、須賀さんにも声をかけたらしいですね、
 もし、本を書けなくなったら、うちのグループにおいでよと、株主にしてあげるから、全財産出しなよって、そんな須賀さんが亡くなったのは1998年3月20日です。確か、田口久美子の『書店風雲録』に田口さんと丸山さん、須賀さんが、やきとり屋で一杯やる場面がありますね追記:(現在ジュンク堂池袋店副店長田口久美子も新刊書店時代、丸山さんと同僚であった。)
 参照:◆『あるがままの無為、あるいは無頼を』『ブックカバー』『本屋一筋』『恥ずかしい読書〜』『入場料をとる本屋さん』 『美しく騙されたい』『自衛軍と出版流通』『大取次の映画館経営』 『田口久美子の書店日記』
 続きは又明日です。