メディア、ネット環境

 武田徹オンライン日記によるとジャーナリストコースの申し込みが本日締切ですね。マスコミに携わらない人たちでも、いや、むしろ、学校教育の段階から「メディア・リテラシー」は必修として養成されるべきものなのでしょうね。批評精神って当然そこに自己批評の眼が必要とされるから、しなやかな精神の体力が要請される。「不安」を堂々と受け入れてたじろかない大丈夫になるために「メディア・リテラシー」のスキルは必須なのでしょうね。
 プロバイダーを変えて半月ですが、毎日、百件以上のスパムメールが現在ゼロで、改めてスパムの煩わしさを再認識しました。武田さんのアーカイブをロムしていたら、こんな記事がありました。

最近、スパム対策をしているが、間違えて削除されるメールが時々ある。着信を眼の前で確認した次の瞬間に削除されるのを目撃させられたり。消えてなくなるとこちらから尋ねるわけにもゆかず、本当に困る。これもスパムのせいでもうほんとにやめてほしい。 特に腹立つのはYahooのフリーメールだ。プログラムが作り出し、次々に変えてくるアドレスで送られる出会い系サイトのメールの数々。まだフィルターソフトが学習しきれていないので通ってくるものがある。もうYahooのフリーメールは使えないようにした方がいいと思っている人の方が日本人の過半数ではないのだろうか。まともなメールなんか全然来ない(これはスパム以外のを削除しているわけではないと思う)。そういうところをいいかげんに済ませているから孫は人望が薄いのだ。

 そのとおりですよ、メッセージ禁止のアドレス登録をしても、次々にアドレスを変えてくるフリーメールには切れる寸前で、PC台をたたきたくなりました。パチンコ台じゃああるまいし。業界全体でスパムに対して真剣に取り込んで欲しいものです。
 スパムといい、ウイルスといい、いつまで経っても解決出来ない問題が益々拡大している、致し方のないことなのでしょうか、ウイルス注射のためか、折角光ファイバーに切り替えたのに想像以上に重く遅い!これも色々なアプリケーションをインストールするからでしょうね。弟は95年のPCをまだ使っています。古すぎてウイルスは相手にしてくれず、注射をしなくても感染しないということです。昔のウィンドウズを使うのも確かに効果があるでしょうね。武田さんも似たようなことを書いていました。(2006年3月11日)

ノートンのインタネットセキュリティの04年版はアクティベイトのチェックが寛容(というか殆どなくて)パソコン何台にもインストール出来た。おかげでうちのような多数のパソコンがある家では大いに助かったのだが、ここにきて相次いで更新サービスの期限が切れている。初めのうちに切れたパソコンはオンラインで更新サービスを受けていたが、結構な出費だ。何台にもインストール出来るようにしてユーザーの「自発性」を誘発させて自社ソフトのシェアを広げておいて更新で儲けるビジネスモデルなのではないか。だとすれば案外賢かったのかも(前に「おー、これ何台でもインストール出来てしまうではないか、作った奴はあほちゃうか」と大喜びしていた自分が愚かしい)。
 で、今週は二台が同時に期限が切れたので、2台にインストール出来る製品版を買うことにした。そのほうが2台別々に更新契約するより安いのだ。そのほうがソフトそのものも新しくなるし、ノートンはとにかくおおげさで、重くて、やらなくていいことまでして良い迷惑な部分の多いウイルスソフトだという印象があった。それが2006版では改善されているのでと期待したのだが、それは裏切られた。入れてみてわかったけど04バージョンより更に重く、おおげさで呆れる。
 なんか私たちの文明の姿をみせつけられるようだ。技術に問題が起きた時に再び技術を用いて対処する。それをベックは再帰的近代化といったが、ウイルスソフトなんてまさにその典型のようなものではないか。ウィルスをチェックし、セキュリティを高めるために、建て増しに建て増しを重ねた温泉旅館のようなグロテスクなものにノートンはなっているように思う。
 もっと軽やかになりたい。昔のウィンドウズCE機を拾い集めて自宅の仕事環境を組み直したらどうかと、殆ど本気で考えてしまう。

 そう言えば、先日、某図書館の整理を手伝ったら、DOSですか、古いPCがありました。有料ゴミとして処分するとのこと。あれをもらって帰って使っても良かったかな、でも操作は自信がない。パソコンでなくてモバイルのワープロでとてもいいのがしまってあったので、あれを主に使おうと取り出したら、何と電池を入れたまま放置していたのです。それで、電池液が漏れて使えなくなっていた。これでも修理に出すと高いのでしょうね、長期間保管するときは電池は取り外して置きましょうね。大失敗でした。
参照:フレッツ: とみきち雑記帳