マンガ市場/千夜千冊

KINO Vol.1

KINO Vol.1

 昨日の毎日新聞夕刊(’06年6月23日)で『マンガ市場 止まらない落ち込み』熊田正史氏の記事がありました。熊田さんは元週刊ヤングサンデーの編集長で、現在京都精華大学でマンガプロデュース学を講義する先生ですが、こういうキャリアを見るとマンガはもはやサブカルではなくてメインカルチャアなんだと、そのあたりの認識を精査しないで、熊田さんが言う「真の批評 不在の悲劇」と言っても、ぴんと来ませんね、昨年のマンガ単行本の売り上げは2602億円、マンガ雑誌の売り上げは2421億円で、昨年にはマンガ雑誌の総発売金額がはじめてマンガ単行本の発売金額を下回ってしまったということです。その差は200億円ですがその意味するものが大きいと警鐘を鳴らし、その最大の原因が「マンガ批評の不在」だと言うのです。
 そしてこの危機を乗り越えるために黒衣を脱ぎ捨てて編集者から真のマンガ批評家が生まれることを期待すると書いているわけです。熊田さんの見取りは、もし、雑誌の落ち込みがこのまま続くなら恐らく4,5年で日本のマンガ市場は崩壊するだろうということです。しかし、アニメ!アニメ!ニュース(http://animeanime.jp/news/archives/2005/12/2005106101231.html)によれば、アメリカで日本のマンガが売り上げを伸ばしているのですが、日本円にして200億円で、ヨーロッパ、アジアを含めた日本マンガの売上高、ブックオフを含めた新中古書店でのマンガの売り上げのデータを合算したマンガ売り上げは間違いなくマンガ雑誌の売り上げを大幅に越えているでしょう。
 問題はマンガ雑誌の落ち込みなのです。かって200万部も売っていたビッグコミックはたったの20万部で、週刊モーニングは30万部、まあ、それでも数十万部という数字は凄いと思いますが、数百万部の異常を体験した目から見れば、現在のマンガ市場が異常なんでしょう。その売り上げの低迷を生んだ一端が無知で愚かな批評だと言うのです。

 [……]マンガは己の文体で己を語れない。マンガが己を語ろうとする時、己の文体であるマンガで己を語れないのだ。批評不在というマンガの悲劇がここにある。(中略)マンガをマンガで語れない以上、マンガ表現とは無縁な者たちがしたり顔でマンガを語り始めることになる。福田恒存が「文学に対する不信」で言う素人批評家の登場である。マンガ家に失笑される記号論や構造論、己の見識をひけらかすだけの幼児的な批評の氾濫である。
 では、マンガ家以外にマンガを語れる人間はいないのだろうか。実はいるのである。それはマンガ編集者である。 

 そして熊田さんの大学で発行しているマンガ評論誌『KINO』(季刊、河出書房新社)を紹介しているのです。初版一万部が売れて6千部も増刷したという。大学出版物としては異例の売り上げでしょう。その原因がこの評論誌ではできるかぎり編集者、原作者といった方々に執筆を依頼したことがヒットにつながったのであろうと分析しているわけ。
 しかし、こちらの大学でマンガプロデユーサー学という講座があるのには驚きました。確かに大学も変わりつつありますね、マンガがサブカからメインに知らぬ間になってしまっているような変貌があるのでしょう。PR誌『UP』6月号で高山宏はこんなことを書いている。

 大学新学期が始まり、ぼくの勤める大学でも数年に渡る「改革」のごたごたを経て、とにかく新しい何かをスタートせざるをえない。ぼくなども長い間やってきた文学の教師をやめて、視覚文化論(含美術史)を講じ、視覚文化論の充実を要請した二十世紀の知の変遷史を記述してゆくという途方もない構想で動き始めた。さすがに怖い。(かたち三昧30『哲学する「映像の力」』より)

 松岡正剛さんの千夜千冊が刊行されますね、四谷書房さん(http://yotsuya.exblog.jp/3773317/)からの発信です。

松岡正剛 『千夜千冊』2006年10月刊定価 99,750円(本体価格95,000円)予約特価 89,250円(本体価格85,000円) (2006年9月末日まで)

 マンガは何十万部の世界で悩んでいるのに、松岡さんの『千夜千冊』は何千部の世界でしょうね、せめて近場の図書館を始めとして資料購入して欲しいですね、さっそく、京、大阪のの図書館にリクエストを出しておきます。リクエストの数が多いと資料購入しやすいのです。皆さんもどうぞ…。