てるてるさんにレス

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)蒼穹の昴(2) (講談社文庫)蒼穹の昴(3) (講談社文庫)蒼穹の昴(4) (講談社文庫)司馬遷―史記の世界 (講談社文芸文庫)
 前々日の『バックラッシュ!』のエントリーでてるてるさんが『宦官』についてコメントしたくれました。僕も宦官については興味があるのです。淺田次郎の『『蒼穹の昴』 のヒーローは自宮した宦官でしょう。高級官僚の道にもっとも近いのは自宮すると言った養老孟司風に言えば唐の世界は完全に脳化社会、身体をそこまで、貶める、そのような視点で考えてもこの「宦官」は様々な問題につながるキーワードになりますね、毛沢東文化大革命もそのような文脈で評論出来るかもしれないし、都市文明は宦官を受容するのでしょうね、少子化対策もこのあたりにヒントの一つがあるかもしれない。最近性犯罪の常習性が言われていますが、刑罰としての腐刑は採用するには人権ハードルが高いけれど、自己申告の自宮は検討するに値するかもしれない。玉を取っても染色体レベルでは男性として認知されるでしょう。
 そもそも、染色体レベル、ホルモンレベル、形態レベルなどで、女性、男性の区別もそれそれの位相で違ってくる。宦官の存在は例えば司馬遷は腐刑を執行されたわけですが、玉はそのままで、竿をカットされた場合は精子の生産は出来るのだから、形態のレベルでは男として認められないが、染色体、ホルモンのレベルでは男として認められる。てるてるさんが言うように韓国で結婚が認められたということは、多分、竿だけを切って、○橋○泉のようにパイプカットと同じようなレベルで考えられたのではないでしょうか、どうも、宦官は調べてみないとわからないが、単なる形態レベルで記名されたものではないかと思ってしまう。司馬遷の「史記」にしろ、宦官政治にしても、もの凄いエネルギーでしょう、多分、玉は二個とも維持されていたのではないでしょうか、それがあるからこそ、幻の剣がふるえて武術の達人も出たかもしれませんね、