「形と心」の問題

チマ・チョゴリ制服の民族誌?その誕生と朝鮮学校の女性たち生の欲動―神経症から倒錯へ渋谷空から恥が降る (文春文庫)
 時代の病を心の問題に還元しようとする大きな流れがこの国にあるのは間違いない、もはやことがおきては遅すぎる、ミサイルが飛んで落ちてから動き出して、そんでいいのかというフォービア(恐怖)があるのはよくわかる。
 町内会の会合でも、あそこは交通量が頻繁なので何とか信号をつけるとか、具体的な方策をせんと、あかん!と提案が出ても、交通課の動きは鈍い、そんな時、必ず、会で「事故が起きて誰かが犠牲になればいいんだ」って、シリアスな発言がでます。
 法律の大きな骨は「行為を罰することであって心には無関心」である。そのことに何ら疑念がなかったけれど、今ではそれが揺らいでいるわけでしょう。工学的にも、それが核などの大量破壊兵器なら、被害が甚大で、死は数量の問題ではないと言っても、ひょっとして想定されうる犠牲者の中に自分がカウントされるかも知れないと言う切迫感が違うのでしょうね、継続審議となった『共謀法』もそんな僕らのフォービアに食い込んで何としてでも成立させようとしている、現在の刑法体系でも国連の条約の批准には何ら問題がないでしょう。
 にもかかわらず、より以上、心に深入りしようとする。まあ、『治安維持法』と、変わらないという反対意見はその通りでしょう。それを与党はごまかしている。「監理社会歓迎」*1、「治安維持法でいいではないか」というメッセージを高言しても意外と人々の賛同を得るかも知れない、そこのところが僕は恐れますね、
 前日、コメント欄でterutellさんが、leleleさんのエントリーで『子どもを殺した母親だけど…』につなげて書いたことに対して「でも、やっぱしマスコミが社会が悪いと報道しても、うちの母親は“どうであろうと母親が悪い”と言うだろうなぁ…」、僕の母親だって同じことを言うでしょう、そういう面ではマスコミに影響されない頑固なところが人々にはある、それは恐らく長年積み重なった内部に深く刻まれたアイデンティティ(文化)であるだろう、それでも、マスコミが“社会(システム)にも問題がある、”と報道し続けるためには単に抽象的な一般論でなく事例として説得力を持って提示するには、leleleさんがいつも書いているように【加害者の証言】の報道が大事かも知れない。
 被害者の報道は被害者自身が悲鳴をあげるほど加熱するが、加害者の報道を僕たちはあまり見聞きしない、今回の畠山容疑者の場合は最初は被害者として報道されたからあんなに露出度が高かったのであって、まさか、途中から加害者になるとは予測出来なかった部分があったわけです。最初から娘の殺害の容疑者として拘束されていれば、全然違った場面になったと思う。
 leleleさんが紹介している『生の欲動』社会学者作田老人の『畠山静香容疑者の自己破壊』は当初から僕自身も感じていたことですが、似たようなことを感じていた人は多かったのではないか、殺人を合理的な原因結果で判断するのは無理があり、ただ刑法という枠内で断罪するためには合理性のフレームで無理矢理切り取る、それは司法の枠内での判断だという禁欲性が要請される。しかし、マスコミも同じようなフレームで報道する必要はない、むしろ、合理的な枠内を逸脱しても作田さんのような報道の仕方がもっと意識的にされるべきではないか、中立・公正は司法で構築された体系であって、マスコミに要請されてはいない、偏り、バイアスがあってもいい、常に上下左右の批判の波に晒されること覚悟、生き甲斐にするのがジャーナリスト魂なのでしょう。一匹狼でなくとも組織内の一ジャーナリストであろうとも組織内の剪定は出来ます。
 形って大事ですよ、器に手を付けないで、教育基本法にしろ、フリーター、ニートの問題にしろ、なんでもかんでも「心の問題に還元しようとする」傾向が益々加速していますね。
 藤原新也『渋谷』についてのインタビューで形と心について語っているがその通りだと思う。

今回の撮影で、形が心を変えていくことがよく分かった。たとえていうと木の剪定は、傲慢なことだよね。人間が勝手に枝を切り、そろえていくことだから。けれどいい形に整えると、木に光が満遍なく注がれるようになり、木は元気になる。

 僕はこのブログで「僕は…」と書いて「わい」、「ワシ」、「俺」、「オイラ」、「ワシャーノー」って、又は、「私は…」っていう一人称を使っていないが、本当に「ボク」なんて日常的に使っていなかったですね。手書きの手紙にも、葉書にも「僕」なんて使わなかった。それが、偶然と言うか、ブログというフレームで書き始めて、いかにも「俺様系」に違和感があったのでしょうか、それに対するアイロニーで「僕」と書いたの思うのです。「ボクちゃん」でもよかったのですが、それはあんまりボクの生理に受けつけないので「僕」で妥協したわけ(笑)。
 本当は昔の原稿の切れ端を見ると、「ワシはのー」って書いているのが多いのですが、小林さんになるから、村上春樹風のイメージで「僕」と書き始めたわけです。でもそのような形が段々と内面化され、僕の文体になったみたい、不思議なもので、僕自身のキャラも変わったような気がします。いいか、わるいか、わからないけれど、悪い遊び?は全くやらなくなりましたね、今は日常の場でも「僕は…」って違和感なく喋っていますね、(笑)。
 「俺様系」の人に一つ、試みでよいから、「僕は…」っていう一人称を使ってせめて一年間書き続けて見たら、ひょっとして見える風景、世界が変わるかも知れない。
 今読んでいる『チマ・チョゴリ制服の民族誌』のチマ・チョゴリもそんな形ではある、ジェンダーナショナリズム、様々な文脈のせめぎ合いで女子学生たちが自ら採用していったチマ・チョゴリの制服は「形と心」の問題でもある。
追記:画像の文庫版『恥が空から降る』は携帯で撮ったのですね、上のインタビュー記事に掲載されています。藤原さんは言う。「写真があったから、いままでやってこれた」、僕もせっかくデジカメを買ったんだから、どんどん、アップしなくては、そのことで、僕は又変わるかもしれない。

*1:しかし、「談」さん紹介のゲイティドコミュニティは住みたくないですね、牢獄ではないですか、そんでも、安全性に問題がある。人と人との関係性にしか、安全と自由はないのだと思う。安全確保が出来ても、そして、誰もいなくなったでは、本末転倒でしょう。