婆(爺)クラッシュ!?

武田徹オンライン日記『バックラッシュ非難2』(8/11)僕のブログにカキコしたてるてるさんの問いに武田さんが触れている。

「てるてる」さんが赤木発言についてコメントしてて、「痛切な叫びを投げつける先が、どうして「バックラッシュ」という本を書いた人達なのかが、疑問なんです」と書いているんだけど、ここは宮田も書いているように答えはごくシンプルで、「助けてくれないから非難した」、それだけなのではないかと。「やる」と「言う」は違うってのはまさにそのこと。

 武田さんはそのことについて丁寧に答えている。

で、話を少し変えると、バックラッシュ森喜朗的なマッチョイズムと、赤木的な(彼の場合はもはや確信犯だが)ルサンチマンのかけ算としておそらく成立するのだろう。森的マッチョをやりこめるのを遠い宿題だとしても、せめて赤木的なルサンチマンをいま解消させられなければ論理としてもやはりあまりにも力不足ではないのか。そんなもの、机上の空論と言われても仕方がないのでは。赤木的なものに感情的な(といわれているけれど、実はかなり論理的な)反発をさせずに、せめて読者共同体の中にを含み入れられる程度の広がりのある論理を作り上げて欲しいと言いたい。それが「言う」を「やる」に変える準備の最初の一歩だろう。そうでもしないとバックラッシュを一所懸命批判していたつもりが、いつのまにかそういうやり方では救われないと考える人のルサンチマンを蓄積させて巡り巡ってバックラッシュ推進に力を与えてしまうことにもなりかねない。本が内輪でそこそこ売れたからいいっていう考え方は罪深いよ。

 一部、勝手に引用しました。言論人はそこまで、目配り気配りをするものなのか……、
参照:★お便り(双風舎御中):読者共同体のあり方: ※※※返信: ※※※macska dot org » コミットメントを欠く「フェミニズムへの助言」への懐疑