<私>の本屋さん…、

 オンライン書店ビーケーワン:だいじょうぶだいじょうぶ
 新文化によると、講談社黒柳徹子のリニュアール版『窓ぎわのトットちゃん』、いとうひろし著『だいじょうぶ、だいじょうぶ』を完全買切・満数配本の特別条件(参加組合報償金付き)で販売するということです。仕入正味は従来通りですがマージンが40%に結果としてなる。6掛けは完全買切に移行した場合、本屋さんにとって最低のボーダーラインでしょうね。今回のはあくまで、既刊2点のオリジナル新装版ということで、ロングセラーとして末永く売ってゆきたいという強い思いで実現したものでしょう。新刊商品は勿論のこと、他の商品に適用出来るかというと、難しいでしょう。ウラゲツさんが書いていましたが、単品の復刊リニュアール版を啓文堂さんで企画して売り抜きましたよね、講談社が協力したわけですが、一見ちいさな一石としか見えないが、とても大きな出来事だと思いました。流通の流れがホンのちょっと変わりつつあるのでしょうか。
 問題は売れ残った商品がどのように流れて行くか、ユーズドとしてアマゾンのようなネット書店にも流れるかもしれない、そうすれば、ネット書店を活気づけることになってしまう。まあ、一読者の立場で言えばそれもいいかと思いますが、一消費者の目で見れば「どうして、本屋さんは春夏秋冬、決算時期に在庫一掃セール」をやらないのだろうかと思ってしまう。
 そのような素朴な疑念から「再版維持制度」を業界の人にもっと言及して欲しいのに何故か、口を閉ざし、口を開けば「文化云々」と「美しいこの国」を守るためには再版維持制度を死守しなければならないみたいな大仰な話になってしまう。「歴史認識」、「文化認識」はとても大切なことでしょうが、でも、大切であるからこそ、本そのものが商品として市場原理に晒されていることから目をそらした言説は問題を先送りするだけで、結局、文化そのものを脆弱なものにしてしまうであろう、そのような経済原則の荒波で滅びるものは滅びるものとしての美を保ち、「記憶」として刻印されればよい。
 再版維持制度に守ってもらうしかない文化ってどのような文化なんだという検証がなされない、そのことを入り口にあえて一読者としてより、一消費者という立ち位置で日書連「私の書店論」論文を先月応募するつもりでしたが、とうとう出来ませんでした。新文化によると、論文募集に26人が参加したとのこと、この数字が多いか、少ないか、発表は10月27日とのことですので、どのような論文が公開されるのか楽しみです。