アキバ三人、薫の君

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 大塚英志の『村上春樹論ーサブカルチャーと倫理』を読んでいると、とても気になる言葉があるそれは「母としての男」なのですが、まあ、吉本ばななの『キッチン』におけるオカマのお母さんをイメージすればいいのかもしれない。江藤淳の『成熟と喪失』から小島信夫の『抱擁家族』、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』の四部作、橋本治桃尻娘』、大塚自身の『「彼女たち」の連合赤軍』から村上春樹の『やがて哀しき外国語』、『ノールウェイの森』へとつながって論究する。

 かってぼくが『少女民俗学』でいささか短絡的に総論として記したように、近代は既に性的に使用可能となった女性の身体に一定の留保期間を設けることで「少女」を誕生させた。だがそういった抑圧は戦後ゆるやかに解体し、’60年代末から’70年代初頭のサブカルチャーは一斉に少女たちの自意識にとらえられた性的身体を描き出す。
 先の「オナニー」について告白する少女はその自由になった性的身体をもて余し、いわば性的身体を抑圧してくれる、つまり、彼女を「少女」のままでいさせてくれる「近代」という失われし制度を「薫くん」に求めている。(p182)

 自民党総裁選挙で三人衆はアキバで街頭演説を行ったのですが、麻生さんなどは3Jなんてサブカルチャーこそは日本のブランドであり、世界進出を勝ち得ていると言ったりしてコミック通であることを「おたく」のみなさんに、訴えたみたいですが、朝日新聞『緊急世論調査』によると、ダントツで安倍さんですね、
 discourさんが書いているように男女平等政策を批判しているらしい安倍さんの女性支持が59%と高い、どうやら女性は自民党それも小泉⇒安倍のラインを圧倒的に支持しているデータで、民主党支持は男性諸君と、相変わらず捩れた読解に苦労する数字ですね、騙されてもいいから、目覚めないまま眠らせて欲しいの、「母の掌に」っていう甘えなのでしょうか、ソフトで優しそうな安倍さんっていうイメージなのでしょう。
 でも、上に書いた「母としての男」は、それとは逆の文脈です。母ー子から子が旅立って、その子は母の元に帰還しないで、荒野を彷徨い、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』ホールデン少年がなりたいものは、遊んでいる子供たちが崖下に落ちないように樹の影に隠れて見守る「キャッチャー」になりたいと言っていましたが、多分、そういう男になることが「母としての男」なのです。
 前にこのブログでも書きましたがヘンリーダーガー非現実の王国について僕や精神分析医、男性評論家が「ロリータ」、「キャラ」だとか「萌え」とかのキーワードで批評していたのを知人が、そのような分析はオカシイ、誤読していると怒られましたが、今更ながら考えると、そうか、ヘンリーダーガーは「「母としての男」なんだ、そうなら渥美清の「フーテンの寅さん」もそうではないか、寅さんは熟したマドンな達を、そうと優しく「少女」のままでいさせてくれたではないか、そのような文脈で嶽本野ばら大正ロマン的「乙女心」はあるんだろうなぁ、野ばらの眼差しにも「母としての男」がある。あの白塗りの「ヨコハマメリー」さんを見続けた元次郎さんにも同じ眼差しがある。
 ひょっとして僕にもそんな眼差しがわかるようになったということは、年とったこともあるけれど、内分泌療法が益々効いてきたこともあるしょう。バターナリズムが諸悪の根源のような気がしますが、父に依存しないシステムは可能か、「母の掌」からも脱出して「母としての男」になるのは本当に難しい、
 そうそう、去年、赤字経営で休館になったが、市民の要望で復活なった滋賀会館シネマホールで9月26日から『ヨコハマメリー』と『ゆれる』が上映されますね、大津へは数回しか行っていないですね、いいチャンスだから大津散策を兼ねてもう一度見てもいいなぁ…と思います。
 しかし、大阪十三の第七藝術劇場も同じ時期にソクーロフの『太陽』を上映しますが、この映画館も閉館の危機に陥ったのですが、何とか存続が決まった。いい映画館、いい本屋など、日頃気をつけて御邪魔しないと、沈没してしまう。どうせ、おカネを落とすのなら、なるべくメジャーでないところで、と思っても、結構、交通費がバカにならない。ネットで買い物は配達料がサービスのところがあるし、お徳感があって気楽だし、ハレの気分で映画を見るならどうしても都心になってしまう。
 十三、大津は僕の住んでいるところから似たようなアクセス時間ですが、東京の大宮のように都心を圧倒するような再開発街にはなってはいないですからね、特に十三は学生時代の頃と殆ど変わっていない。東京で言えば赤羽のようなところですが、赤羽はメガのショッピングセンターが進出してだいぶ変わったのですが、十三はそんなに変わっていない、でも東西を代表するピンサロ街には間違いないでしょう。でも、変わっているかなぁ、赤羽には福富太郎さんのキャバレー「ハリウッド」が頑張っているでしょう。
 多分、僕の言いたいことは「バターナリズムでない男」がリスペクトされる社会を望んでいるのですが、せめてそのような男を女の人たちも評価して欲しいなぁ…ということです。
 参照:おたく/フィギュア/ペット動物力―犬のフリ見て我がフリ治せ! - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
    嶽本野ばら/サリンジャー/乙女って何だろう? - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
 追記:そう言えば、村松友視が故安原顕にオマージュを捧げた『ヤスケンの海』のbk1書評投稿で「たくさんのお母さんを必要とする人」と言う故辻邦夫さんの名言を引用したが、自らお母さんになろうとするオヤジは一体この国にいるのだろうかと考えると寂しいですね、フーテンの寅さんや、ヘンリーダーガーはそんな母親になれるオヤジなのかもしれない。