その前夜のマルコムX

 ◆京都文化博物館の映像ホール山中貞雄特集の六回目『その前夜』を見ました。この映画は山中貞雄追悼映画として企画されたものです。脚本は「梶原金八というネーム」になっていますが、合同ネームなのです。メンバーは稲垣浩、三村伸太郎、山中貞雄滝沢英輔、藤井滋司、です。物語は三条木屋町池田屋騒動が舞台ですが、その池田屋は背景で小橋を挟んだ手前の閑古鳥が鳴いている大野屋の家族(兄:中村翫右門、姉:山田五十鈴、妹:高峰秀子)と泊まり客の元侍で画家の河原崎長十郎、が主人公で浪人河野秋武新撰組加東大介等がかかわる。
 この三条木屋町を通って来たばかりなので、昭和14年制作なのですが、すごく臨場感を感じてしまった。事実、かって稲垣浩山中貞雄がこのあたりをぶらついていた折に山中が思いついた話を元にしているという。
 三条小橋の東詰に立った山中が「ここらへんにカメラを据えて……」と喋ったらしい。監督は山中の愛弟子の萩原遼です。この時代にかようなシリアスなドラマが作られていたのだと驚きます。エンターティメントとしても良質です。新撰組が当時の日本軍とダブルところがあります。批評になっているわけです。前進座が総出演です。 http://www013.upp.so-net.ne.jp/orii/houga/kantoku/hagiwara_2/index.htm
 ◆スパイク・リー監督(と、言っても重要な役どころで出演もしているのですが…)映画DVD『マルコムX』が図書館にあったのでかりてきました。201分なので、半日がつぶれましたね。でも、長さは感じなかった。そのかわり見終わってぐったりとしましたね、音も素晴しく、マルコムX演じるデンゼル・ワシントンの演説が詩(うた)になっているわけでですよ、前日chikiさんのブログから、『いまマスコミに問われているものーネット時代のジャーナリズムとはー』を、これも三部に分かれて視聴には半日がかりでした。
 そこであるコメンテイターが面白いことを言っていた。「言葉を大きく二つに分けるとアクティビティなもの(行動を直截に駆動する)、言論(書き言葉を主体)だと思うが、本来はアクティビスト(活動家)とジャーナリストが一体としてあった。それが、アクティビティなものが削りとられ、言論だけに特化というか禁欲されたというか、そんなマスジャーナリズムが生まれたのではないか」、「新聞ジャーナリズムは特に言論人というフレームが確率され、政治的なものとの切断が計られた、それが公正という名のもとに信頼性を得たわけですが、本来、言論はアジテイター、アクテビィストものではなかったか」、そのような趣旨だったと思う。
 そこで、彼はネットでは匿名のノイズが満載の欲求不満の掃き溜めのような腐臭があるが、それでもその腐臭を乗り越えて泥まみれ、糞まみれになってネットジャーナリズムを立ち上げる道筋しかない、例えば、ネットの一票が政治を動かす力に成りえるし。又そうならなければならない、そういう意味においてネットジャーナリズムは言論だけに抑制されたマスジャーナリズムではなく、アクティビストにならざるを得ないし、前に戻ったいうことではなくて、そのようなアクティビティを装填したジャーナリズムが生まれてくるのではないか、説教師、アジテーターとしての言葉なのでしょう。確かにそのような「感情の政治学」の問題だと思うが、ネットジャーナリズムを考えると避けて通れない、記者クラブの問題、再版維持制度の問題は結局、廃止の流れになるでしょう。ネットがこの世からなくなるバックラッシュが起きないかぎりは…。
 第二、第三のマルコムXがネットから生まれてくる可能性が大だなぁと、それを危険とみるか、救済とみるかどうか、ただ、ネットジャーナリズムはとても政治的な媒体だと思いますね、それと、どう公共性と折り合いをつけるのか、様々にパフォーマンスする動画を見ると、そんなことも思ってしまいましたね。ネットジャーナリズムの双方性は今は肥溜めだがどのように歩み、走るのか予測のつかないエネルギーがありますね。

マルコムX [DVD]

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