丸激トークライブin立命館・愛国心って

オンライン書店ビーケーワン:天皇と日本のナショナリズムオンライン書店ビーケーワン:常用字解
  『ビデオニュース・ドットコム』の会員登録をしたもんだから、京都の立命館で公開収録された『ちょいとみんな元気ないんじゃあない』をアクセスしたら200分以上の長さで他のことが出来なくなり予定が狂ってしまった。ビデオニュースの丸激は僕の興味のありどころとズレるところも多々あるが、今回はとても面白かった。
 特に後半での質問タイムで京大、同立関学の学生、院生や、広島弁の「ヤクザ研究」をしている向学心旺盛なオヤジさんや、自営業者で京都の遊び人風の粋な人や、どこかのタウンミーティングのやらせ質問の片鱗さえない、視聴している僕もライブの興奮が伝わって又もや、夜更かししてしまった。
 やはり、衣笠まで行ってライブのトークを拝見するべきだったですね、アタマに残ったキーワードは「悲劇の共有」、「パトリオットナショナリズム」、「密教天皇制」、「オタク」とかと書いてしまうと引いてしまう人がいるかもしれないが、「公共性」を巡ってスリリングなやりとりがありました。
 僕は宮台言説を例えば戦後的な「自治会」と戦前的な「隣組」の違いを仕分けした上で戦後民主主義をフラッグにしたプラットフォームを共有するOSに天皇をドッキングするかたちで排他的でないナショナリズムを構築する方向性に「あるのではないか」っていう読解をしている。
 でも実際、昨日の隣組が今日の自治会になっても同じ人がノンシャラと「ギブミーチョコレート」と言える強かさが方々であったわけでしょう。システムが変わっても「人が変わらなければ」、同じこと、そのような思いで宮台さんは「悲劇の共有」を言ったと思う。しかし、実際、悲劇の共有をすれば一番痛めつけられるのは弱者であろう。それによっていの一番に強者が痛めつけられるシーンは少ない、例えば外貨預金を持って亡命もするわけだ。出来得る。
 「国」はあくまで手段、メタであって目的、ベタでない、そのようなプラットフォームの糊代に「共和国憲法」を置きたいが、でも、この国では、「私」から「公」へのリンクする「近代的市民」が存在しない。基本にキリスト教的精神がないですからね。そんでそのオルターナティブとして象徴天皇制で補完する。そんなデザインでしょう。勿論、天皇抜きの「共和制」に拘泥する言論人もいますが段々少なくなりましたね、Kさんはそんな少ない言論人の一人でしょう。でも又、プライベートモードになっていますね。この人のブログもよく訪問しているので公開を心待ちにしております。
 まあ、宮台さんの言うように、その糊代として「悲劇の共有」が必要であったかもしれないし、必要かもしれない、先の戦争での「悲劇の共有」の徹底さにかけていたとも言える。その隙間に象徴天皇制が入り込んで、「私」からより大きな「量的拡大としての私」=公のようなものに、守られて、それが核の傘のしたとも言えるし、世界標準時計から閉ざされたまどろみの甘き夢を見つづけて来られたのかもしれない。
 丁度、某証券会社のセミナーに代理で参加したのですが、講師は外貨を薦めていましたね。これから日本は少子高齢化で、周りの国々は元気で日本はこれ以上良くなるはずがない、栄枯盛衰ですよ、そんで外貨をすすめるわけ。そうなってもセキュリティとして外貨を持つことは投資としても有利であるけれど、安心、安全としても買いですよというわけです。仮にそのような状況であっても「日本に賭ける」という気分はナンナンダロウ。
 神保哲生ブログでこの丸激トークがエントリーされて質問した人もコメントを書いていますね、それらと合わせ鏡で読むと面白い。