赤木さんのコメントに対する返信

★そうか、今日は僕の誕生日だ!いやぁ、63歳か、同じ誕生日は、三島由紀夫田中真紀子で、真紀子さんとは同年同月同日です。
 おめでとうさん!

赤木智弘 『そうそう、ひとつ聞いておきたいことがあるんですよ。
どうしてあなたは「平等か生存か」の文章に対して、
>赤木さんに対する目がクールでありながら、暖かい、
というような判断をされたのでしょうか?
とりあえず、それだけ書いて頂けないでしょうか。批判はしませんんので。』

 前日のエントリーに赤木さんから以上のようなコメントをもらったので、前日のコメント欄でなく本文に書いてみました。
「の」さんの文章全体から受ける「優しさ」が第一ですが、

僕は―なんだかんだ言っても―大学に行ってて、親類も健在で、生活できる分のお金は働かなくてももらえるという、本当に甘ったれた環境に居る人間だし、そんな人間が幾ら同意したように言っても、
「同情するなら金をくれ」とでも言われそう……そんな不安が、彼の発言に同意出来ない理由の一つではある。

 でも、そんな境遇にある「恵まれさ」に自覚的であると同時に、こんな風に本音を吐露する誠実さがある。
 僕にだって、こんな本音がありますよ。でも、例えば、赤木さんが、もし、「の」さんの立場にいたとしたら、同じようなことを言っちゃうような気がするのです。どうも、赤木さんは、街頭に立って「恵まれない人びとのために募金を…」っという運動をすることの出来ない、そういうことに気恥ずかしさを感じる人のように思うのです。僕もそうです。「の」さんもそうだと思う。そういうところに共通項を見るから、僕から、「の」さんに対する、そして「赤木」さんに対する眼差しが暖かいところがあるのかなぁ…と思ってしまいます。
>赤木氏は「平等」を求めてるけど、僕は「生存」を望んでいる
>でも、平等なんてそんな数量的言葉、命という最も不条理なものには似合わないと思うのだ。
 コメントにshohojiさんが、書いていますが、shohojiさんは単身日本を脱出して(誤読を生まないようにshohojiさんの背景を少し書きます。>shohojiさん、ご了解下さい。)ヨーロッパで家族を持った女性の方なのですが、日本における福利厚生システムの劣化報道に驚いているわけです。ちなみに彼女は赤木さんの論座の「現代の貧困」のテキストを読んでいますよ。彼女は雪国の国大を卒業して、将来を約束された固い職場に就職したのですが、結局、確たる標識もないまま、この国をふらりと飛び出て「女一人地球を歩く」(笑)みたいな放浪が始まったわけです。
 カネなんか殆どないですよ。行動に駆り立てる衝動はカネと縁のないフェーズから来ますね。そして、今、ベルギーで「の」さんと歳の近い子をもうけ、赤木さんの言う「普通の暮らし」を営んでいるわけです。
 ただ、彼女が僕に質問したことは「赤木さんの言う、普通の暮らしはなんだろう?」で、僕は安直に「可愛い女房がいて、子どもがいて、ささやかな家庭がある」って言うことではないの…って返答しました。
 そうそう、その前に僕はこのようなことを言っていました。あなたのコメントを誤解して思わず腹立たしく言ってしまったのです。

赤木君と歳が近い友達が、正月に年賀のメールをくれて、 赤木君のことを問答無用の辛口批評していました。それで、僕は理屈ではなく「情」なんだと返事したのですが、というのは、彼は親の傍でフリーター生活をしているわけで、家を出ているわけではない。そんな深刻な経済環境ではないわけですよ。ただ、「普通の暮らし」に幻想を持って、そのことがかなわぬルサンチマン的心情を何故か意地になって抱え込んでいる。誰かと結婚して家庭を持つことも何にもなくとも時代に関係なく出来るはずだ。責任を状況、時代に転嫁して自己正当化、自己憐憫化している。勇気を持って、家を出、街へ出て欲しいなぁという背中を押すことぐらいは出来ると思ったのですが、やっぱし、ダメか…。彼は時評家になることが夢ではなく、普通の暮らしをしたいと書いていたから、そんな方向性なら背中押しが出来ると思ったのです。

 そして、僕は赤木さんがカチンとくるかも知れないことを言いました。

こんな不景気な日本でも彼が本気にそんな家庭を欲望するなら、躊躇せず、家を出て女の人を見つければいいと思う。時評家になる野心が次善なら、あんまり、大文字のことは語らない方がいいと思う。自分の実存の問題なんだから、まず、今ある自分を肯定して誰かを好きになればいい、暮らしは後からなんとかなるもんですよね。彼は結婚という商品、普通の暮らしというみんなが認知してくれる幻想商品を買いたいのでしょう。 だから、そのためにはお金が必要だと思いこんでいる。お金にとらわれていますね、お金って、へんなもので、とらわれると、逃げる。誰かに惚れればいいのです。 お金はあとの問題です。

 こうやって書いていると最後まで書かなくてはいけないですね、shohojiさん、ご了承下さい、

……それにしても、みんながみんな「可愛い女房がいて、子どもがいて、ささやかな家庭がある」というのが絶対いいと思っているわけでもないし、それに、各人、各家庭、それぞれに、どんなに「普通の暮らし」をしているように見えても、赤木さんが思い込んでいるほど「普通」ではないかもしれないじゃないですか。だいたい、赤木さん自身、「普通の暮らし」以外をバカにしているのが腹がたちます。いろんな生き方、いろんな人、そういう可能性をいっさい認めていないのが赤木さんで、認める必要のない暮らしをされてきたのが、世界の状況の変化で、違う生き方を迫られ、「こんなはずじゃなかった」となり、誰のせい?というんで、犯人探しをされたのかも・・・。

 それから、>お金はあとの問題です。

自分のことを思いおこしても、そうだよな、と思います。
どうにもならなきゃ、野垂れ死にするわい、と覚悟をきめている(つもり)ですし・・・。子供たちだけは、独立できるまで手伝わないといかん、と思いますが。
と、こういうのんきなことを言えるのも、ベルギーの社会のシステムに負うところが大きいのだろうな、と思うので、日本のシステムがヨーロッパ型になることを、のぞまないではいられません。「美しい国」ニッポンという言葉でもって、社会のシステムをなおざりにしたまま逃げをきめさせてはいけないと思います。

 >日本のシステムがヨーロッパ型になることを、のぞまないではいられません。
 このような改革なら議会制民主主義政体のもとでも実現可能だと思いますね。
 その後、shohojiさんも宛先が誤配だとわかったわけですが、大筋の真意は変わらないということです。

でも、いずれにしろ、「の」さんの文章からは、「赤木さん自身の実存」あるいは「赤木さんと同じ思いを抱く人たちへの実存」に対して、「自分とは違う人もいる」という配慮が感じられるのに、赤木さんにはそれが感じられないと思います。

 >誤配により、上のようなことを僕は書いてしまいましたが、別段、僕の真意に外れるようなことではないので、このままにしておいてもいいかと思います。

私も、間に誤解があったにしても、自分の感じたことはそのまま、変わることはないです。いろんな生き方、いろんな人、そういう可能性をいっさい認めていないのが赤木さんで、認める必要のない暮らしをずっとされてきたのが、いざ独立してというときに、世界の状況の変化で、違う生き方を迫られ、「こんなはずじゃなかった」となり、「これは誰のせいなんだ?」と、犯人探しをされた、その「犯人」が、赤木さんの中でもう決まっている。その「犯人たち」を絶対許さない、と思われているみたい。実は自分自身も、その変化の一部の責任を担っているでしょう。
とくに、想像するに、ご両親は「まっとうな普通の暮らし」をされていたようですから、その赤木一家が幸せに暮らしている間、同じ苦しい思いを、誰かが見えない世界でしていたかもしれないですし。今、変化の結果の1番の被害者でも、もちろんあるでしょうけれど。

 僕もshohojiさんの言っていることとほぼ違いはない。
 赤木さんの言葉は「時評家としての言葉」と 「赤木さん自身の実存」とが混在しているところがある。それを僕は否定しない、当事者性のある言葉としてむしろ推奨したいぐらいです。でも論争のやりとりの中で赤木さんは戦略的にこの二つを巧妙に使い分けているところがある。赤木さんの「決めセリフ」に「それは赤木個人に対する人格攻撃だ」と問答無用に排除しますよね。でも、そこで、人格攻撃云々を持ち出すのではなく、むしろ、赤木さんの方でギアチェンジして「時評家としての言葉」の土俵にもってくるクールな操作があってもいいのではないかと思うわけですよ。逆に相手が大文字で論争を挑んで来たら、ちっちゃな、でも深い、「赤木さんの実存」を出してゆけばいいと思うのです。
 ちょいと、赤木さんの質問から外れましたが、「の」さんに僕やshohojiさんが共感した部分があったのは、そのような余白の部分です。

言い換えれば、貧困層を生存可能な水準に上げられる分だけの負担を中流層に強いれば良いんであって、それ以上の中流層の負担=貧困層の向上は、別に必要ないんじゃないか、という意見です。

 僕は消費税率をどんどん上げてもいいのではないかと言う立場です。勿論、基本生活財の税率は逆に下げるような手だてを考えているのですが…。このあたりの考えの方向性も僕と繋がる。
 僕の基本にあるものは平等社会(ユートピア社会のようなものか)より不平等社会(理不尽な社会?)の多様性社会に「生きる歓び」があるのではないかと、感じるものがある。そのヘンに赤木さんは不真面目さを感じ取るのかもしれないし、そんな赤木さんを僕は「真面目な人」だなぁと思ってしまうのです。そのあたりが僕と赤木さんの土俵の違いでしょう。社会に「生存」が確保されている雨露を凌げるシステムがインフラとして整備されていれば、僕はもっとふらふら出来るのにと、赤木さんから見れば不真面目なことを考えているかもしれない。結婚もしないで、子のいないで、そんな、僕でありながら、僕自身、自己肯定をしている部分がある。逆に、赤木さんは今の自分を自己否定しているでしょう。そこも違いますね。「の」さんが書いていますね。

「平等」とか「生存」とかいうのはともかくとしても、自分を卑下するのは(例えそれが無理でも)やめるよう努力した方が絶対良い。自分が素晴らしいと思えて、初めて自分の行為を信じることが出来るんであって、自分を卑下した上で何か行動しても、その行為を自分自身が信じることが出来ない以上、上手くいくわけがないと思う。

 僕のどこかに「自由」に拘ったために結果として「ホームレス」になってしまったでもいいかぁというのがありました。
 だから、東京から何十年ぶりにこちらに居を定めて音信不通だった知人達に会うと、異口同音に「ホームレスになっていたんだと思っていた」と言われちゃいました。社会的地位があって立派な家庭を持っているA層の知人に偶に会うと、「羨ましい」と言われてしまうこともありますね。色々あるんですよ、まだ、現役バリバリで第一線で正社員として働いている知人が賀状をくれて、赤木さんと僕とのやりとりを読んで、正社員がいかに血反吐を吐いてサービス残業が当然の職場で踏みとどまって頑張っているか、そんな心情を吐露して、「赤木さんは何にもわかっていない」って書いていました。僕は正社員のしんどさを知っています。色々ありますけれど、僕はある時点で正社員を返上したのです。自分で起業してもよかったのですが、とうとう、ふらふらと遊んでしまった。でも、後悔していないんですよね、なるようになるって。これから、ひょっとして起業するかもしれないし、どうなるかわからない、赤木さんも「起業」を選択肢の一つに取り入れたらいいと思うよ。赤木さん個人におカネがなくとも、この国はおカネが沢山余っているのです。投資先を探している。赤木さんの「起業計画書」が魅力あるものなら、おカネが集まってきます。そういう経済システムの上で現在の僕たちは生きているわけです。武田さんたちと「ネットラジオ」を企画しているでしょう。とても面白いと思いますよ。これなんかも「起業」につながると思う。そこまで、リーチを伸ばしていいのではないかと思います。
 いやぁ、長くなりましたね、一応ここで、データをアップします。又、続きを書くかもしれません。
 赤木さんはコメントをしないということですけれど、他の方はコメントしてくださっても歓迎します。それに刺激を受けて又書くような事態になるかもしれません。