ペコちゃんが泣いている

もの食う人びと (角川文庫)音楽CD よつばと(音符記号)組曲「冬将軍」よつばと! (6) (電撃コミックス)
 ◆年末、久しぶりに、駅前のモール街にある不二家でランチしたのですが、今回の事件がマスメディア、有識者のコメントにしたところで、どうも吹っ切れないものを感じます。ただ、言えることは、もう女の子に「ペコちゃんに似ているなあ」って、言えなくなったっていうことです。実はそのランチしたおりにレジの女の子に「え〜と、君はどこかで会ったことがあるなぁ、う〜ん」、「そうだ、ペコちゃんだった」と、オヤジタメ口?をカマしたのですが、でも、実際、彼女はペコちゃんにそっくりだったのです。思い起こすと、彼女だけではなく、結構、女の子に「褒め言葉」として言っていました。これからは、言えないですね、言ったら睨まれてしまう。そう言えば僕の誕生日プレゼントは『よつばと!』4,5,6巻だったのです。「よつばと」が大きくなれば、ペコちゃんのような女の子になると思いませんか?もうそんなことを言うと、よつばとに頭突きをやられてしまう。
 ◆しかし、ゴミ減量推進のアナウンスを町内会でやっているのですが、レジ袋いらないキャンペーンもさることながら、市の方で一番悩んでいるのは「手つかず食品」です。賞味期限が切れたと言って食品トレーにパックされたままの状態で捨てられているのです。全体のゴミの量はなんとか減量されているのですが、生ゴミとして捨てられた「手つかず食品」の割合が増えているのです。会合のとき、「なるべく、食べ物は生ゴミとして捨てないで、お腹の中に捨てましょう」って、肥満推進キャンペーンになって顰蹙を買いましたが、賞味期限が切れたからと言って食べられないわけではないですよね、
 僕は結構、スーパーで賞味期限ギリギリの食品を買う場合が多い(安いからね…)、それで、冷蔵庫に一日、二日と寝かせると期限が切れてしまうけど、実際に、鼻とか舌を使って腐っていないかどうか確かめた上で食べてしまう。老母もこのことに関してはうるさいのです。だから、残り物はなくなるまで食べさせられるし、食べる。腐ってどうしようもなくてから捨てるのです。センサーは僕自身の身体です。『賞味期限文化』って、表象文化で、それによって裏切られるとそんなはずはなかったと怒り心頭にきてしまう。数字、データは単に参照の一つに過ぎなくて、流言飛語に抗する力は、「そうか、又、不二家でランチしようかなぁ」と思ってしまう天の邪鬼性を僕としては常に維持したいと思う。でも、そうは思ってもあの不二家のレストランはどうなっているかなぁ、あの「ペコちゃん」そっくりさんも、どうしているんだろう。
 ◆手つかず食品の廃棄画像を見ていると、辺見庸の『もの食う人びと』を思い出したり、『ダーウィンの悪夢』で、ナイルパーチの残骸に群がって腹空かした子ども達が争う場面を思ってしまうのですが、「ペコちゃん騒動」より、かような南北問題をマス・メディアはどんどん放映すべきでしょうね。
 ◆それと、先ほど、鉾田市議員の八戸視察旅行政務調査費問題、セクハラ問題テレ朝のスーパーモーニングが取り上げていたが、大槻議員だけでなく同僚の「つくしクラブ」の議員達が顔を晒して、謝罪するのかと思いきや、大槻市議を弁護したり、自分たちがいかに正しいか主張して、盛んに捏造、われわれに対するメディアのイジメだとか、この番組は品性がないとか、品性なき罵詈雑言を堂々と浴びせているのにはびっくりした。多分、僕と同年輩ぐらいのオヤジ連中でしょう。恥ずかしくなりました。議員資格だけの問題ではなく、人間としての振るまいが僕の想像外のところにある。
 やっぱし、過去ログにも書いたように、地方議員は無報酬のボランティアでやるべきですよ。選挙費用だとか、住居は公費でも賄い、居住している自治体にやり手がいないなら、全国から公募する。年金生活者達が生き甲斐を求めて応募してくると思いますよ、団塊の世代はそうやって全国津津浦浦に散らばって、今度は会社のためではなく、地方のために汗水垂らして働いて欲しいし、そんな回路があってもいいなぁと、そんな考えがふと浮かびました。
 ◆どうやってもフォローの仕様のない市議会議員たちいるもんですね。まあ、同僚の仲間をかばう美しき共同体倫理はパトリオティズム愛郷心)に通底するものがあるかもしれないが、仮にメディアからのバッシングだけではなく、中央政府からもお叱りがあっても、それでも仲間を守ると言った強い絆があれば、僕はひょっとして考えを改めて素直に彼等を尊敬するかもしれない。そこまでの度胸があるかどうかですね。
 村民、町民、市民達が、そういう議員達の振る舞いに「恥」を感じて欲しいと思うが、そこに愛郷心を見ることが出来れば評価軸も変わるもんです。実際、どうなんだろう。逆に、名も知らぬ市民の一人が問題を表沙汰にした女の子が勤めている会社に文句を言いに行ったりする。どうして、市会議員宅に文句を言いに行かないのか、セクハラ問題に限定しないで、「外」に対して恥ずかしいと思うといった感性だろうね。内田樹ブログで不二家問題についてエントリーしていたが、共通の問題がありますね。
 どちらにしろ、テレ朝のスタジオに出演してガチンコトークをして欲しいなぁ、テレ朝も受けて立つと言っているのだから、堂々と彼らの立つ倫理観を主張すればいい、期待しています。
 参照:市議先生、区議先生のあきれ果てた所業と、その言い訳!! ( 政党、団体 ) - 日本号よ、どこへ行く! - Yahoo!ブログ
 しかし、個人投資家のみなさんにはこんな記事がありますね。
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=41506&pg=20070114
 迷宮入りした江崎グリコ事件もそのような株投資がらみの指摘がありましたね、どうやら僕たちはある問題のリテラシーを読み解くに、様々な視点から検証しなくてはいけないんだろうけれど、株だけではなく、投資信託一つにしたところで、なかなかわからないことが一杯あります。勉強の必要は痛感しているのです。
 ★日野啓三『ユーラシアの風景』は日野さんが撮った写真と文のコラボで世界の記憶を辿る名品ですが、その126頁に不二家のことを書いていました。不二家はかって戦後日本の青春の色だったわけですよね、「色美しく」を引用します。

 私の青春の記憶には色がない。女っ気がないという意味ではなく、色彩が乏し過ぎたのだ。敗戦の翌年、旧制一高に入学して駒場の寄宿寮に三年暮らした。鉄筋コンクリート建てだったが、内部は難民バラック並みの汚れ放題、一年に一度部屋を掃除したかどうか。街に出ると至るところ空襲の焼け跡と闇市だった。
 大学に進んで三鷹の奥の雑木林の中の一軒家に下宿したが、北向き四畳の部屋は年中終日、日が射すことがなく、まわりは乾いたイモ畠と枯れかけた雑木林ばかり。夜遅く家庭教師のアルバイトから疲れて帰るバスの終点からの道の両側の、ケヤキの並本の幹は黒くて固くて冷たかった。
 部屋の中も拾ってきた古机と古イスの他は、ミカン箱の木箱と吹きこぼれの跡だらけの七輪とアルマイトの鍋一個。窓のカーテンもなかった。「欧米の若者がこの部屋を見たらあきれて物も言えないだろう」と訪ねてきた同級生がしみじみと言った。
 「だけどおれたちが考えていることの一部でも聞いたら、もっと驚くだろうな」
 大学二年の頃、初めて女友達とのデートで、銀座の不二家で、エビフライを食べたときの、明るいレストランの中の壁紙か床のジュータンの赤い色が、いまも目に見える。余程、色に飢えていたに違いない。
 街に色がついたのが、卒業して新聞社に就職した一九五〇年代の初め頃だったろうか。街角に立って道行く若い女性たちの服装の色を飽きずに眺めていた。色彩豊かな店を見かけると、買う物がなくても入ってぼんやりしていた。
 街と商品包み紙が色彩を取り戻すにつれて、私もくすんだ街と心から生き直し始めたように思う。狭い木造アパートの部屋の内部に色のついた道具や物が現れ出したのは、結婚して同居してから。女性は生活に色をもたらす生きものなのだ、と得心した。いらないものばかり買ってくる、と小言を言いながら。
 その後、外国に度々出かけるようになって、戦争と革命は街から色が消えること、平和とはやたらに色がまわりに溢れることと思いこむようになった。ただしどぎつい色が溢れ返ることが良い平和のしるしではないだろう。確かバブル景気の頃から、明る過ぎない照明、静かな色調、ひそやかに知恵を秘めた声に、無性にひかれるようになった気がする。枯れ葉散り敷く武蔵野の奥の旧街道の、黄色い静寂が懐かしい。残り少ない黄葉の隙問から、遥かな星がのぞく。
 社会と時代がどう変転しようとも、人は所詮、ひとり生きて呼吸し、歩いて物想うそのあるかなきかの手ごたえを大切にする以外にないのだろうが、まわりは色美しくある方がいい。華やかでも輝くばかりでなくても。

 そんな風に僕も記憶を伴侶にしめやかに歩きたいものです。 
ユーラシアの風景―世界の記憶を辿る