文化依存型/翻訳

「わかる」とは何か (岩波新書)ロング・グッドバイオンライン書店ビーケーワン:図書館新世紀
 journalisitコースから武田徹エントリーで、『国立国会図書館 次期館長に長尾氏起用へ 国会外から初』毎日新聞記事を読んだのですが、最早、情報化時代が国つくりの本道になったという象徴的な出来事でもあるんだろうなぁ、長尾さんで、検索すると、1993年のデータですが、とても面白いインタビュー記事がありました。

今までの自然科学とか,あるいはまあ,西欧的ものの考え方っていうのは,ある考え方を出すときは,常にその,普遍性っていうことを考えて,やってきたわけですよね。だから,普遍性を考えるってことは,あることを考えたら,それはもう,西欧世界だけでなく,世界中どこに行っても,それが成り立つんだと。だからどこに対してでも,それを適用してゆくべきだと。こういうことで西洋の考え方,特に自然科学の考え方は作られてきて,それは,まあ,非常に成功して,今日の科学とか技術とかがあるわけですね。それがまあ世界を席巻してるわけですけども,とことんそれをやってきたあげくを考えると,なんていうんですか,そういう方法では説明できない部分てのがたくさんあるってことがだんだんわかってきたんじゃないかと思うんですね。で,そういうのは,いったい,じゃあ,どうしたらいいかっていうと,単純な意味での普遍性で押しまくってても,解決できない問題ですから,やっぱり,特殊性というものの内容っていうのを,よくみて,その特殊性に価値を見出していくというか,そういう,世界に徐々に変わっていきつつあるんじゃないかなという気がするんですね。そうすると,そういうものは,従来の科学技術の考え方では,なかなか扱いきれないわけなんですけども,計算機のように,シミュレーションとか,いろんなことが,個別的にやれる技術になってくると,そういうことが扱えて,これからの多様な価値観の世界,多様な社会とか文化とかを持っている世界に対して,能力を発揮していける手段として,情報科学ってのは,また,こう,ハイライトがあたってくるっていいますかね,そういうことになってくる。情報科学っていうのは,必然的に文化系的学問の色彩が強いし,そういうふうにつくられないと,それぞれの社会で,ほんとにいいものとして受け入れられていかない可能性が高いわけですね。[……]http://www.kcg.ac.jp/acm/a5008.htmlより

 文化依存型というか、文化をフリーズして使い勝手のいい道具にはなれない、翻訳機械って、どこまで、汎用性のあるものが可能なのか、現時点でもっとも、有効な人間の力で翻訳作業をしても、なかなか思うようにはゆかない、だから、村上春樹新訳『ロング・グッドバイ』を出すように作家の生業として、何世紀に渡って有効ではないか、まあ、PCが村上さんの翻訳より読む気をそそることが出来れば、茂木さんの「クオリア」も解明出来る時代になっているかもしれない。果たして、そのような時代が「いい時代なのか」どうかは、わからない。
しかし、これから図書館の蔵書データがアマゾンの「なか見!検索」のように全文検索できるようになれば、パソコン一台で原則「情報格差」なく「知の渉猟」が出来るわけだ。どれくらいの時間がかかるか、想像さえつかないが、ひょっとしてそのような時代は意外と早いのではないか、まあ、僕が生きている間に実現出来るようになるかは微妙なところでしょう。館長が替われば、かような方向性に弾みがつくということで、そういうことも見据えた今回の人事なのでしょうか。そうであるなら、武田さんの言うように河野洋平は「えらい!」っていうことになるのか…。