ささやかなクールメディアを目指して、

他者と死者―ラカンによるレヴィナス文芸時評という感想詩とことば (ことばのために)百年の孤独 ニッポンの小説
 内田樹さんの『クールなメディア』を読んで、思わず頷いてしまった。僕のは別に戦略的なものではなくて、性格って言うか、キャラって言うか、「熱く語る」っていうことが苦手だと言うのがあるが、だからと言って僕以外の人が熱く語るのは嫌いではない。
 でも、それが、その人の実存が透けて見える「情」の背景があればの話で、メディア、組織が、「タメにする煽り」は「クールな対応」をしたくなる。
 内田さんのブログは一日のアクセスが1万だという。6月頃には累計1000万に達するだろうと予測する。恐ろしい数字です。僕の場合は通常、300〜500です。内田さんのブログの影響力に驚いたのは、数回、トラバした時、通常のアクセス数が倍増したことです。他の方のブログにトラバしてもそんな異変は起こりません。そうそう、一度、ホリエモン時代のライブドアのニュースサイトで僕の記事がリンクされた時、1000台を越えたことがありました。それでも、やっと一千です。一万なんて想像を絶する数字です。
 久しぶりに内田ブログ、パーソナルメディアの威力を体感するためにトラバしてみようかなぁ…。
 内田さんは、《1911年の日比谷焼き打ち事件は日本のポピュリズムの原点であるが、ポーツマス条約破棄と戦争継続を呼号したのは万朝報と大阪朝日であった。》と書いていますが、徳富蘇峰国民新聞社は焼き討ちにあった。桂太郎と繋がりが深かったというのもあるが、いかにポーツマス条約が現状の日本にとって実利があるかと「クール」に対応したわけでしょう。だけど、万朝報や大阪朝日を始め他のメディアは国辱的講和条約だと民衆の好戦気分を煽ったわけ。
 勝った、勝ったと過剰に「熱く語って」、あの大国ロシアに何とか「負けないで良かったね」っと「クールな対応」がなかったわけでしょう。
 煽ってクールダウンさせることは、難しい、火の海になって燃え尽きて、はた?と気がつくのでしょう。内田さんが、意識して「クールメディア」の役割を引き受けようとしていることは、とても心強いです。
 《いいじゃないですか、マス・メディアがちょっとくらい「ホット」でも。ブログで「クール」な情報が読めるなら。》
 まあ、そうでしょう。メディアはとくにそうですが、パーソナル・メディア(ブログなど)にしても、「このようなことを許しておいてよいのでしょうか」と言い続ける振る舞いは、それ自体が再帰的な駆動」を促し、中味の検証がおろそかになる危険性がある。時には再帰性の何重にも重なった瘡蓋を「クール」に剥ぎ取る行為は必要であると思います。
 そうは言っても、僕だって燃えたぎることはあるでしょう。岡本太郎ではないけれど、「爆発」することもあるかも、だけど、それは多分、僕の実存に引火し時で、煽りによるものではない、と信じたいです。だからこそ、「クールに世界を見渡したい」、それぐらいの距離間を維持しても、生きている限り、人は熱いものを持っている。それでいいではないですか…。
 ◆高橋源一郎の『ニッポンの小説』は読んでいて熱くなりました。この本は内田さんの『他者と死者』と荒川洋治の著作が主人公ですね。