墓銘のレディ・メイド
春分の日なので、墓掃除をしました。暖かいですね、
柏原芳恵の「春なのに」がyoutubeにありました。
もう花咲ジジィに近い年齢(多分)になったみたいですが、
まだ、この歌はかろうじて記憶にあります。♪
あはれ花 狂い咲いたか 墓まいり(光司)
茂木健一郎さんが、クオリア日記で 『レディ・メイド作品 募集』をしていますが、
デュシャンの「泉」は茶道具の銘のことを思い浮かべてしまう。学生時代、お茶のお稽古をしていたのです。二年間ほどでしたが、大学構内に由緒ある茶室があって、毎日、庭掃除、炉を切ったり、お点前の練習とか、やったのですが、今はもうすっかり忘れていますね。
でも、南禅寺などでやった茶会のことはよく思い出します。
茂木さんの「レディ・メイド」って、千利休の道具に対する、
「一期一会」の驚きで、そこに利休が刻印される、
そのことに似たようなものであるのでしょうが、
自分で道具を見て判別する感性を育む以前に退部してしまいました。
茶碗で触ってみたいと思ったのは古田織部の沓形黒茶碗。あの歪んだシンメトリーでないカタチはそそられますが
「癒し」の一服とういうより、「不安」の一碗という
戦国大名の「カオス」の臭いが漂ってくるような織部黒茶碗だと思う。
利休にとって茶室は戦場だったかもしれないが、
秀吉、利休の確執を見、自刃した利休を淀川下りで見送った織部も
秀頼に味方したとして、徳川家康に切腹を命じられる。
そのような生き様とほど遠い、平成のオヤジは墓参りして、
まだ生きている証である(この世を去れば、朱を消すのです)。
朱印の入った墓石の銘を愛おしみながら、
「まだ生きてはるなぁ…」って、ごしごしと墓石を磨きました。
結局、オレのレディ・メイド作品は「これしかない」って、言うことになるのか、
これがまあ 終の住処か 雪五尺 (一茶)
墓地から、淀川、天王山を見渡すことが出来ます。
右手が京、左手が大阪、背には洞が峠が控えています。古戦場に囲まれた墓地ですね。
しかし、暖かいですね、暖かすぎて、寒牡丹。「花の下」と贅沢は言いません。石五尺。
天下一品の洞が峠のぼた餅を呼ばれました。胃の中に入った「記憶」のレディ・メイドでしょうね。
至るところにレディ・メイドあり、
ただ、それを発見するかどうかは、僕自身の問題なんだろうね。
ただ、その主体がどこにあるのかという問題が残りますが…。
墓銘にあるようで、ないような、レディ・メイド。
追記:好きなことを語って欲しいのです。 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」(11歩目の助走)好きなことを語ることから、「レディ・メイド」への回路がつながるのでしょうね。
今日はそれが、牡丹餅。