三島由紀夫/不安社会ニッポン


 決定版三島由紀夫全集41巻は音声のみで、CDが七枚もあるのですが、中之島図書館から借りて聴いています。
 外国特派員協会で行った英語の講演『私はいかにして日本の作家となったか』(約50分)もありますし、後、昭和45年9月3日中曽根の主宰する新政同志会の研修会で、中曽根康弘の話に引き続いて行われた講演、「我が国の自主防衛について」(約60分)もあります。しかし、中曽根はまだ、ぴんぴんしていますね、石原慎太郎も…ね。
 今の時期に三島のこの講演を聴いて見るのもいいかもしれません。
 参照:『演説:三島由紀夫』
 【松本清張三島由紀夫事件を語る】♪一回目、♪二回目、♪三回目、♪四回目、♪五回目
三島vs東大全共闘

普遍性への志向を欠いた卑小な「私」の(その場その場での)「感情(きもち)」の粒だちのみが蔓延する。それは決して美しい光景ではないかもしれない。しかし、そこではじめて人は、「正しさ」という権威を抜きにして(権威を保証する他者の顔色をうががうことを抜きにして)「作品(芸術)」と向き合えるのかもしれないのだ。それば実は非常に厳しい場所で、そこでは、一人一人が作品から感じ取るものの「質」や「強さ」こそが、他に何の支えも言い訳も抜きにして、自分自身にとっての価値基準のみに支えられて、誤摩化し難くシビアに問われるようになる、とも言えるのではないだろうか。ただ、人が(自分が)本当にそのような場所に耐えられるのかどうかについては、確信がない。

 偽日記の2007、4/15の記事から引用したのですが、この記事は僕も過去エントリーで言及した保坂和志の記事『いまや忘れられつつある“現代”』に触発されたもので、

現在において、「現代」が成立しないのだとすれば、それは「近代」というプログラムがもはや作動しなくなったということを意味するように思われる。それは「普遍(理念)」の失効、つまり「正しさ」が意味をもたなくなったということだと思う。

 小林秀雄にしろ、三島由紀夫にしろ、「近代」というプログラムが作動していうフレーム内に生きていた人であったとも言える。僕は彼らの声に反応するが、「記憶の中」でのもので、生々しさはない。今の若い人達が聴いたらどんな反応を示すだろうか、ある人が、あるところで、こんなことを書いていました。

 先日、上の子の入学式があったのですが、まず、そして切々と校長が語ったのは 「死なないように」 びびってんなぁ‥‥というのがその日全般の印象。とにかく死人を出さずに問題なくやりすごしたい、というのが学校全体からでてました。こういう及び腰引き腰なところで3年間過ごすのか、と思うと私立のほうがよかったのかと思ったりもしましたが、校長の話を聞いて思い浮かんだのは 「自爆テロ
 外にむけてエネルギーを放出したのは校内暴力が盛んだった私たちが最後だったのでは‥‥とよく思います。 外にむける方法を学ぶことなく(取り上げられて)きた若者たちは、訴え方も知らない。引きこもったり、ごく近くのものにのみ荒ぶってみたり。そしてとうとう自分の命を盾にしてしまったな‥‥と思って。
 「ワーキングプア」な世代のいくたりかが声をあげ初めていますが、30台前半〜20台後半の多くの満足のいかない境遇にある人々の声を結集するのは難しいだろう、と思ってしまいます。外にむける(それと自分が不満であるという気持ちを持っているということをまとめあげることも)、という訓練をしたことがないのですから。 (中略)
 これから先はいままでと違ってアジアの中でいかにやっていくか、ということが必定で。 そして、アジアの若者たちは、よい悪いは置いて、貪欲です。資本主義社会にてらいもみせない。そんな中で、まるで日陰の植物みたいな日本の若人は大丈夫なのかいなと心配。
 憲法の改定は大きくは対アジアを意識してのことなのだろう、と私は思っているのですが、「同じ歌」を声を合わせて歌ってきた世代はみんなで日の丸を振れば大丈夫と思っているかもしれないけれども、これから日本を請け負っていく世代は9条を持たせていたほうがいいのではないかと思ってしまうのですが。表は白で裏にはドラえもんを描いた旗を振ってたほうが。

 この人の憲法九条を護持しなければならない発想は検討に値する。「途方に暮れた心許なさ」を、少なくとも、虚妄の効用であれ、九条という「正しさ」?という浮き舟に旗立てて行く方が戦略的にも適ったものかもしれない。
 まあ、あの日、あの時、三島は市ヶ谷で、シカトされましたが、今この時に三島が現れたにしても、動かないと思う。イシハラとミシマは違うけれど…。動くとしたら、日々の暮らしの「不安さから来るニッポン」でしょう。
 参照:PARC自由学校『不安社会ニッポン』へ…、