2045年〜50年?

星新一 一〇〇一話をつくった人世界SF全集 28カタコトのうわごと2050年のわたしから
 最相葉月の『星新一』は600頁弱の、どっしりと重い本ですが、面白くて、星新一の『ショート・ショート』を読みたくなった。でも、本棚にないなぁ…、早川書房の『世界SF全集』は第一回配本から予約して購入していたのに、とうとう全巻まで、購入しなかった。
 この全集で収録された日本の作家をネットで拝見すると、当時、僕が愛読していた作家たちだと言うことが改めて思い浮かべることが出来ますね、筒井康隆北杜夫小松左京半村良平井和正倉橋由美子もエントリーされている。
 星新一を愛読していたわけではないけれど平積み商品としてよく売りましたね。北杜夫のドクトルまんぼうシリーズと並べて平台を賑わせたのです。
 そんな久しぶりのSFモードにアンテナがヒットしたのか、多和田葉子の新刊『カタコトのうわごと』収載の「2045年」というエッセイ?が目にとまりました。《2045年ともなれば、妻という妻は食パンで出来ている。》奇妙奇天烈な出足なのです。 何のことやら、本文(214頁〜)で読んでもらうとして、初出の日付を見ると(「毎日新聞」95年1月5日夕刊)とある。あの1995年の分水嶺に作家は何かを予感したのでしょうか。

  2045年ともなれば、女という女はコインランドリーや図書館や喫茶店の椅子に腰掛けて、一日中本を読んでいる。家の中にいることはほとんどなく、喫茶店でランチサービスを注文し、洗濯はコインランドリーの洗濯機に放り込んで、自分は本を読んだり、ノートを取ったり、考え込んだりしている。民族問題に終止符を打つために国際法ができ、自分と同じ民族に属する子供を作ってはいけないことになった。例えば、両親が日本人なら、その子供は日本人以外の何者かにならなければいけない。何者かになるかは、くじ引きで決める。そうしないと十九世紀的な西洋中心主義を二十一世紀になっても引きずっている人たちが、やたらにフランス人の子供ばかりを作ってしまったりして世界のバランスがくずれてしまうかもしれないという配慮がなされたためだった。
 例えばある日本人の女性が妊娠して、くじを引き、トルコ人の子供が生まれることになったとする。その女性は出産までにトルコの言語から始まって、風習、歴史、音楽など恐ろしくたくさんのことを学ばなければならない。九ヶ月の妊娠期間ではとても勉強しきれないので、ある医薬品の助けを借りて、妊娠期間は二十七ヶ月にまで引き延ばされることになった。その期間中、母親たちは必死で、これから生まれてくる子供の文化を勉強する。物を買っている暇もなく、だから次々と新しい工業製品が作りだされることもなく、またいわゆるレジャーも廃れて、自然破壊の問題もいつの間にか解決されていった。国民総生産はどの国でもガクンと下がったが、誰もそんなことに気をとめている暇はなかった。民族とか外国人という言葉は使われなくなってきた。(略)
 二十世紀には日本人の親から生まれた日本人というのがまだ当たり前のように思われていたのが、今ではそれが少数派になってしまった。特にわたしの世代の男性のほとんどが生き残っていない。戦争なんて嫌だもんね、とやわらかく美しく育てられたのに、中年になって急に戦争に駆り出されて、ほとんどが戦死してしまった。世紀末の大民族戦争にどうしても参加したいと言う政治家が何人かいて、憲法が改正されて「日本国民ハ国権ノ発動タル戦争ト武力ニヨル威嚇マタハ武力ノ行使ハデキルダケ放棄シナイ」ということになってしまい、大変な結果になってしまった。わたしの初恋の人、飯沼太郎も1999年にサラエボで殺され、日本に送り返されたきたのは犬歯が一本きりだった。

 ここまで、書いて屁爆弾さんのエントリーを見たら、「2050年〜」という金子勝さんの本のコメントがあるではないですか、金子さんのは、二十一世紀の今の時点での2050年で、多和田葉子さんのは1995年での2045年であるけれど、それは、1995年以前、以降との風景の違いにくるものでしょうか。
 この本は読んでいませんが、今年、金子さんの講演を聴いた内容から想像出来る、何とも暗澹たる近未来像ですね。
 多和田さんの不気味な近未来像を(でもハッピーです)、続けて引用します。

 2045年には、子供たちは昔とは全然違っている。人は胎内でアメーバーからサルまで様々な生物の形を生き抜いて最後に人間になるという説があるが、その説なしでは説明のつかないような現象が起こった。妊娠期間が三倍に延びたので、胎内で例えばアメーバーとして生きる時間も長くなり、出生後もアメーバー的な肉体感覚が強く残ることになった。トンボの一種として生きる時間も長くなり、物が複眼的に見えるようになった。ネズミ的な第六感も異常に発達し、例えば自分の家が火事になりそうだということが前日分かってしまうのだった。(略)
 人間がこんなに毛深くなったのも、サルに近づいたせいかもしれない。ダーウィーンがこれを知ったら、何と言うだろう。わたしのように能力が二十世紀的に限定されていて身体にろくに毛も生えていないような年寄りは、今の若い人から見れば博物館の展示物のようなものなのだろうが、みんな親切にしてくれるので、八十五歳になっても別に死にたいとは思わない。わたしの若い頃は、年寄りなどは邪魔者扱いされたものだ。長生きすると、予想もしなかったような世の中の変化を目にすることが出来る。十代の頃には絶対のものと思われていたベルリンの壁が二十代のうちにくずれたので、当時はかなり驚いたが、今ではそんな小さなことに驚いていた自分に驚いてしまう。

 こちらは、ハッピーな未来像ですが、よく見れば、世紀末の大戦争でオヤジたちが殆ど戦死して、その土壌の上に、恋人飯沼さんの犬歯一本の上に、民族問題が終止符を打って、新たな社会システムが立ち上がるのですね。
 参照:記憶の位相 - Aspects of Memory - Übungsplatz〔練習場〕