踊る小説、踊る念仏

 雑誌『新潮』のバックナンバーが図書館のリサイクル棚にあったので、2002年五月号をもらってくる。小島信夫堀江敏幸の対談があったので、それを読みたかったのです。
 「小説作法」について語っているのですが、お互いに書く前に構想があるわけでないし、とにかく書いているにしたがって、何とか小説になってゆくと言った「生き物めいたもの」がありますね。
 だから締め切り日っていうのは大事で、それは痛い楔なのかもしれない。「書かざるを得ない」状況に追いやる。ディテールの問題にしても常に「部分と全体」は往還する。
 小説って、人間の身体のような艶めいたものかもしれない。
 ストーリーはどうでもいい、積み木細工のようなもんだからね、小説は積み木細工ではないのです。
 勿論、お二人はそのようなことを直截に語っているわけではないけれど、対談を読んで、僕はそんな感慨が沸いたのです。僕の大好きな堀江敏幸の『いつか王子駅』は、そんな生々しい質感がありましたね、この対談でこの小説について語っている部分が沢山あったので、嬉しかったです。
 巻頭小説は佐江衆一の『わが屍は野に捨てよ 一遍遊行』で、もう文庫になっているんですね、一遍智真の「踊り念仏」です。
はねばはねよ踊らばをどれ春駒の 
のりの道をば人ぞしる

 一遍上人絵伝で、高床で、かような念仏踊りをしていたのが窺い知ることが出来ますね。
 読むつもりはなかったのに、読み始めるととうとう最後まで読んでしまった。原稿用紙一挙360枚掲載ということです。しかし、文庫化が早いですね。