ユナイテッドインディビデュアルズとは?

オンライン書店ビーケーワン:右翼と左翼はどうちがう?オンライン書店ビーケーワン:フューチャリスト宣言
 雨宮処凛ブログで知ったのですが、新刊が発売されたのですね。どうやら、少年、少女たちのための公民副読本みたいな感じだなぁ…、「14歳の世渡り術」の第一弾の第一冊だということです。群像に「プレカリアートの憂鬱」が連載されていますが、六回目で雨宮さんはこんなことを書いている。

 結局、二十五歳で一冊目の本を出版し、私は「脱フリーター」した。それから七年。なんとか書くことだけで食べているものの、ずっと罪悪感があった。自分だけが脱フリーターしてしまった罪悪感だ。同世代の多くは、いまだに低賃金の使い捨て労働力として生きている。脱フリーター後七年を経た私は、最近、かなり「左傾化」している。この間、赤木氏と対談した。彼は「戦争におびえるのは何かを持つ者。何も持たない者は逆に『不利益の再分配』を望む」と言った。だからこそ、「反戦平和」というスローガンは「持つ者の傲慢」である、と。やはり彼の戦争待望の背後にあったのも「自殺願望」だった。そこで、気づいた。なぜ、私が「左傾化」したのか。いや、「できた」のか。それは私が「脱フリーター」して「持つ者」になったからではないのか。もっと言えば、「生活に余裕ができた」からではないのか。(略)
 「持つ者」になって初めて、私は戦争ではなく平和を望んだ。そんな自分の傲慢さを、彼と話して気づかされた。しかし、自分が傲慢だとも気づかない平和主義者たちは「どうせ戦争になって最前線に行くのはお前のような貧乏フリーターだよ」と嘲笑するのだろう。なぜ、最前線に行かねばならないことを嫌というほどわかっている当事者が戦争を望まねばならないのか、これがどれほどの切実さに基づいているのか。なぜ、そこに心を寄せようとしないのか。彼は戦争で死ねば「恩給」と「名誉」が得られると言った。フリーターのまま自殺しても、何も得られない。それどころか親と暮らす彼は「親の寿命が自分の寿命」だと感じている。
 底は抜け始めているどころではなく、至るところに「見えない穴」が開いている。そしてその穴に落ちてしまったら、生存そのものが否定される。

 武田徹オンライン日記「日清戦争後」で、田中康夫「孤高を目指して連帯を恐れず」の言葉を紹介してくれていますが、

終戦という契機も全共闘運動も、さらにはバブル経済をも経てなお何も変えられていないものが日本の近代史にはある。それを、たとえば個人と国民国家の関係の中で考えてみると色々と得るものがある。連帯というものひとつとっても、それを個人の側から求めて行くか、国民(的)な同質集団を前提とするかで質が大きく変わってくる。個人から連帯へという回路はまだ実現していないし、試されてもいないし、殆どのひとはそんな回路がありえることを想像すらできずにいるのかもしれない。

 談合社会をおさらばするオルタナティブな社会しか、明日はないのでしょうね。再版維持制度、記者クラブ著作権SIMロック、etc、あらゆる既得権益を死守するみっともなさに居直って恥じるどころか、何も持っていない若者達に「自己責任」っと言って、説教するのは、やめてもらいたいですね、
 まず、この社会のシステムを変更するのが先決でしょう。農地改革はGHQの指令によって行われたのですが、そんな外圧ではなく、個々人から行動を起こすというのが、「個人から連帯へ」の回路でしょう。
 梅田望夫×茂木健一郎共著『フューチャリスト宣言』(ちくま新書)で、そのような談合社会について語っている。

茂木 僕はウィキペディアが出てきた意味って、まさにその「善性」の蓄積だと思う。
梅田 ネットでの「学ぶ喜び」が、まさに人間の「脳の喜び」として言語獲得以来のものだとする。そして「知」というものの人間にとっての重みを、ものすごく大きなものとして見る。そう仮定すると、これからきっといいことが起こりますね。
(略)
茂木 最初からアメリカの社会は2・0的にできているんじゃないでしょうか。つまり、誰が来たって、ちゃんと手続きを通せば大丈夫。日本は談合社会ですね。「こうあるべし」という人間の型を決めて、そこから外れた者に冷たい。フリーのライターだってたくさん稼いでいる人はいるんですよ、下手な正社員よりも。どちらが踏み倒す可能性が高いかと考えたら……。経済的・法的にきちんと考えを詰めているわけではないんですよね。もしリスクがあるというなら、保険をかけてヘッジすればいい。そのリスク分、たとえば3%だったら、3%だけ家賃を上げればいい。やはり日本社会は、ウェブ2・0的にできていない。
梅田 談合社会の中に入って仲間になれという圧力が、日本の社会のありとあらゆるところでとても強い。
茂木 そんなことを言っていると、世界から取り残される。僕は日本はいい国になってほしい。本当の意味で「美しい国」になってほしいんだけど(笑)、その意味で談合体質を取り壊さないと。
梅田 さっき、人体実験やっているところも共通点だという話になったけれど、談合社会をぶち壊したいとか、あるいは、ぶち壊さないまでも相対化したいということは、たぶん、茂木さんと僕の共通ミッションだと思うんですよ。我々は「フューチャリスト同盟」だっていう合意に、「人体実験同盟」と、「談合社会相対化同盟」を加えましょう。

 左翼であれ、右翼であれ、まず闘う相手は、そのような談合社会であるはずであるのに、談合にぶら下がって何とか美味しいとこ取り合戦をやろうとするような政治から一日も早く、オサラバしてもらいたい。「個人から連帯へ」という回路の果てにしか、もし「美しい国」があるとしたら、そこにしかないでしょう。談合的な連帯が、「まずありき」ではないのです。「孤高を目指して連帯を恐れず」(ユナイテッドインディビデュアルズ)とは、そのような意味なんでしょう。