情の爪

 マイミクさんから、現代企画室の太田昌国氏の一文を教えてもらいましたので、一部引用、リンクします。『「希望は戦争」という言葉について 』(『派兵チェック』174号(200年3月15日発行)掲載) からです。 

私は、最近では、「あなたは無縁だといえますか――貧困の罠」を特集した『週刊東洋経済』2月24日号と、「労働破壊――再生への道を求めて」を特集した『世界』3月号から、ふだん私がいる場所からは見えない多くの事実を学んだ。自分の生活実感に照らして、そうだと頷くことができる、事柄の分析にも出会った。
 赤木の文章に、惜しむらくは欠けているのは、そのような分析的な思考である。
 自分が強いられている現状に対する不平・不満を、この文章のような形で、いわば鬱憤晴らしのような水準で語っている限り、「逆に、自分の待遇が良くなったらそれで終わりになって、人のことなどどうでもよくなる」という吉本隆明の感想(『論座』4月号)に、私は同感する。

 ◆逆に、自分の待遇が良くなったらそれで終わりになって、
 でも、このことは彼自身も自覚的ですよ。月刊『オルタ五月号』で編集者がこういうふりをしている。「お二人はもとは当事者であったけれども、雨宮さんはいま、オピニオンリーダーとして活躍されている。赤木さんも経済的な実態はともかく、見え方としては……。」

雨宮 大ブレイクですよね。
赤木 何とかなるかも知れないという立場にこぎつけたという……。
雨宮 何とかなると思ったら、左傾化しませんか?何とかなりそうじゃないですか、これから発言の場が広がっていくかもしれないし。そうして脱フリーターしますよね。で、豊かになったら、「持たざる者」から「持つ者」になる。そうなったら、平和を望むんじゃあないかな。
赤木 そうですよね。やっぱりネオナチにしても、貧しい人を中心に右傾化していくんですよね。自分としては、意図的に文章上で左翼と距離をおくスタンスを取り続けることはできるだろうけど、心情としては、左寄りになるかもしれませんね。だけれども、じゃあ、普通の同年代の正社員と比べて、文章書いて食べていくっていうのはどうなのかって考えると、(収入は)まず正社員ほどにはならないと思うんで、その辺りで弱者意識は残るのかなという気はしますね。

 あえて、そのような分析的思考から距離を置いて書くことで彼自身の「情」が強度を持って表に出、ブレークすると言った現象を生んだと思う。
 戦略的ではなく彼自身の切実さからくるものであったかもしれないが、結果として戦略的に成功したと思う。だって、既成の左翼論壇の面々がマジに反応したではないですか、
 その限りにおいて論点が明確になり、「格差社会」が今度の選挙で憲法問題と共に、各政党間の最優先の論点になるのは間違いないし、 もはや、「貧困問題」は、例え、赤木さんが小金持ちになっても、「格差社会」を隠しおおせることは出来ないでしょうね。第二、第三の赤木さんが現れますよ。俯瞰すれば矛盾に満ちた行動かもしれないが、モグラのように論点の穴を穿つ「情の爪」を常に研いでおくことも又、必要だと思う。