光り輝く男?

 俗流若者論に「もの申す!新・後藤和智事務所」の後藤さんが、久しぶりに更新しましたね、内田樹先生の『下流志向』に対して痛い辛口批評をしていますが、この新書は読んでいませんね。僕は内田さんの本は好きで読んでいるのですが、そう言えば内田さんの時事コラム、政談は遠ざける傾向があるなぁ…、僕が内田樹の三冊と訊かれれば、◆『「おじさん」的思考』、◆『私家版・ユダヤ文化論』、◆『他者と死者』、だろうなぁ、
 時評になると、内田さんは、自分の「語り口の芸」を愉しむと言った遊びがありますね。だから、『下流志向』のような若者論において、当の若者たち(後藤さんを含めて)から「酒の肴」にしやぁ〜がって、と言うのがあるのかも知らない。
 僕はオヤジやオバサンが書いた「若者論」は読みたくないけれど、そのような批評の矢で、例えば「団塊世代論」を読みたいけれど、あまりないんだよね、団塊の世代たちの懐を狙った「60歳からの人生」って言った応援歌、趣味で生きる、老後を愉しむ方法、美味しいもの、旅行、、健康、などなど、僕の感性にもヒットする「キーワード」(苦笑)が目白押しだけれど、
 例えば就職氷河期に就職した1975年生まれの赤木智弘さん、雨宮処凛さんたち言っていることは、彼らの既得権を寄越せ!、せめて寄越した上で、「若者たちに説教してくれ!」という事でしょう。それが出来ぬなら、正義感ぶらないで、例えば、ぼうふら漂流日記さんが書いているように、シモキタで上映中の映画『資金源強奪』の監督深作欣二の『仁義なき戦い』の台詞を語ってもらった方が共感出来るということでしょう。

「ワシらうまいもん喰うてよ、まぶいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの。それも銭がなけりゃ、できやせんので。そうじゃけん、銭に体張ろう言うンが、どこが悪いの。おゥ?」

 まあ、僕は深作欣二と違って前立腺癌の「タマ取り」内分泌療法を選択した男?だから、そのような欲望が極小になって、もはやかような台詞が僕の琴線にひっかからないのですが、男はやっかいなものですね、
 まあ、そのように性差の線引きを行わないで、男女を問わず、この世の「生き辛さ」は益々濃度が高くなっていることは事実でしょう。 偶然にも早起きしてテレビを見たら、月乃光司さんがその「生き辛さ」の閾が高くなっていることは、その痛みの中心にずぶりと潜り抜ければ、そこに次の世界のステージが拡がる、希望に満ちた詩の朗読を行っていましたが、そのことを信じるしかないのでしょうか。
 ♪「人生なんでもあり」 詩・月乃光司
 http://yaplog.jp/koware/
 雨宮処凛さんも映っていましたね、途中から見たのではっきり確認しなくて、コスチュームが過ぎっただけでしたが…。
 雨宮さん、月乃さんも頑張っていますね、でも、自分に合ったことをすればいいのだと思う。僕はこうやってブログに書くのみ。マイミクさんが月刊『オルタ五月号』から引用してこんな事を書いていましたが、イベント好き、運動好き、でも、そんなことはイヤ!って言う人もいます。無理をしないでそれぞれの器量にあったやり方をするのが、持続するポイントです。「持続こそ力」ですよ。

月刊オルタ5月号の記事はどれもおもしろく、なるほどと思われることがたくさんありました。
たくさんありすぎるので、かえって感想を述べるのが難しいですね。
で、ひとつだけ、赤木さんと雨宮さんの対談で、おお、これわかる、と、赤木さんが話されていたことに共感したところがありました。
それは、『論座』4月号に雨宮さんが記された、「<素人の乱>的なものに対する見方に懸念をもちました。」という発言。
赤木さんは言います。
>「素人の乱」自体は否定しないし、彼らがそういう生き方をしたいと望んでいることは構わないんですが、何か苦しんでいる若い人があのように生きるべきだと思われてしまうとすごく困るなと感じるところはあります。
>自分なんかは、他人と一緒に何かしたくないということはないけれど、まず自分ひとりで生きたいというのがあって、共同体を持つのがすごい苦痛だとおもいますね。
>彼らのような生き方ももちろん選択肢の一つなんだけれど、なんか、ああいう生き方こそが若者を救う、みたいなことを誰かが言いそうでいやなんですよね。

わかります。ものすごくわかる。 もし私が1975年生まれだったら、今頃どういう風に暮らし、何をかんがえていたかしら、などと想像してしまいました。

 マイミクさんは、こんな日本を離れて何十年と海外に居を定め家族を持ち、暮らしているから、僕が見えないことも、見えるのでしょうか、○○さん、勝手に引用しました。御寛恕下さい。