コンニャク押さえ込み一本!


 双風亭日乗さんが、「なぜ刊行前の原稿をwebで公開するのか」という出版流通に関する実践と問いを具体的に発信していますが、出版業界全体で、双風亭さんの一投を、どのようにキャッチするのか興味があるところです。
 少なくとも、護送船団方式でスルーパスして、誰かがガス抜きで、ババを引いてもらって根治療法は先送りすると言った目先の生き延びは、破綻すれば何らかの公的、社会的な支援の期待できる大出版社はともかく、中小出版社は双風亭さんの試みを「自分のことのように」真剣に検証して欲しいですね、
 雑誌掲載後ですが、著作権者たる作家が自分の工面で、単行本と言っても、単行本の発行権限が版元で作者ではないれど、まあ、限りなく単行本が刊行されるであろう蓋然性を念頭に置いて、それをも、「刊行前」と考えれば、
 保坂和志さんが、ネット上でアップしている例えば現在「新潮」連載中のエッセイ『小説をめぐって』の記事が保坂さんの自助というかテキスト入力を(というのは版元にテキストデータを送信してもらうことは出来ず、自前で有料ボランティアが入力打ち込みを行っている)した上で、保坂和志HPにアップしているわけです。
 (ちなみに現在の最新更新は2007年3月号の「新潮」)保板でこのテキスト入力のボランティア募集をしたとき、僕も思わず手を挙げようとしたのですが、保坂さんはこの連載はひょっとして30年くらい続くこともあるとのことで、とてもじゃあないけれど、僕のいのちの方が絶えてしまうので、遠慮しましたが、着々と進行中ですね、
 単行本としては『小説の自由』『小説の誕生』という結実をみたわけですが、これからも単行本が刊行されるでしょう。 雑誌『新潮』、ネットのテキストで読むことは出来るわけですが、やはり単行本として僕は買ってしまう。僕の知る限り殆どの人はそうするみたいですね。
 保坂さんのこの試みに関して言えば版元に対する「販促貢献」していることに結果としてなっていることは間違いない。こういう信頼関係と、実績があるから、小島信夫『寓話』のプロジェクトを立ち上げて、完売、そして増刷までたどり着けたのでしょう。当初、この復刊に関してネットでテキストを有料公開して安価で読者に提供という案もありましたが(こういうやりとりが、ネットの保板でなされたのです、そしてとうとう、そのためのオフ会もやってしまった。鎌倉に結集っていうわけです。)、
 保坂さんの強い意志で、むしろちゃんとした装幀で発刊したいということになり、画像のような素晴らしい『寓話』が発刊されることになったのです。
 最近、保坂さんが増刷の広報をしていますね。それを勝手に貼り付けます。

プロジェクトKによる小島信夫『寓話』増刷しました。
昨年3月に出版したときには部数が限られていたので、営業活動はしませんでしたが、今回は書店にも置くことにします。(ただし、管理が複雑になるので買い取り限定――殿様商売ですいません)
書店の方、または書店と知り合いの方、info@k-hosaka.comまでご連絡ください。
納品は3冊以上、買い取りの原価は65%つまり1冊2600円。
送料は書店持ち(着払い)
個人の販売はいままでどおり、本体4000円プラス送料340円。

『寓話』の増刷分が順調に捌けたら、『菅野満子の手紙』を第2弾として出版しようと思います。

 作家としては申すまでもなく、こういう実務に関しても保坂さんに脱帽です。直販方式の弱点を押さえた出版流通システムですね、再版維持制度撤廃は、なかなか難しい状況がこれからも続くと思いますが、現金買取に関して業界がもっと積極的にやってもいいかなぁと思う。
 かって書店にいた時、手に入らないベストセラーものを現金買取しようと思ってもできないわけです。それで、最後の手段として図書券でライバル書店に行って正価でレジ購入するのです。逆に5000円の一年に一度も回転しない常備委託商品を再版維持制度を守って、500円で現金買取する。荒利が九割ですが、売れたらの話ですからね、
 棚に並べて、どうしようもなくなったら、古本屋さんに買ってもらえばいい、そうすれば、出版流通の流れが淀むことなく巡回すると思うのです。
 双風舎さんの決断を応援したくなるのは、出版流通全体にとっても長い目で見れば、みんながwin&winの関係性が構築出来ると思うからです。仲正昌樹さんの『思想の死相』が売れればいいですね、でも、まず、ネットのテキストを読んでから判断します。人文書と小説では、製本された本に対する接し方は随分違う面がある。論文などは、むしろネットテキストの方が便利がよい場合もある。本という器でなくとも、CD-Rで保存で事足りるということがあると思う。文学書の場合、装幀も含めて価値評価されるところがありますからね、隔月誌『風の旅人』は、装幀という器をもの凄く大事にする雑誌(書籍コードですが)ですね。
 まあ、人文書でも東浩紀の新刊はボックス装幀で懲りに凝ったものですが、普通そこまで要請されない。情報を消化すればいいという側面がありますよね、でも、小島信夫の小説は「消化」するこを読者は最初から断念している。それでも読む。読む行為そのものを味あう。
 評論するために読まない、同じ本でもそこが違うと思う。

◆ところで、総連本部売却問題に関しては内田樹節が見事に炸裂しますね、思わず拍手してしまった。ナイーブな人にはこんな言動は吐けない。「コンニャク押さえ込み・一本!」です。
たたかえ! 公安調査庁 - 内田樹の研究室