宮沢喜一を思い遣りながら「論座・7月号」

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 毎日新聞の夕刊で、毎月掲載されている『雑誌を読む』は、なかなか総合雑誌などを読む習慣がないので、この欄は愛読しているのです。今月の加藤陽子『溶解する左派と右派』の記事は面白かった。問題の根元は「反経済的発想」とする。それに関するテキストは『論座・7月号』の小特集「『経済』が嫌いな人へ」で、特に松尾匡の「トクの裏にはソンしかないのか」を上げる。市場メカニズムに肯定的なのが右派で、批判的なのが左派とする旧来の区分はもう有効ではないのではないか、その通りでしょう。
 今日、宮沢喜一の訃報が届きましたが、彼は保守本流ハト派、コイズミ、アベのネオリベ的(不徹底な)タカ派と違って護憲派であるが、徹底した「経済的発想」をする人でしょう。その延長線上に「平和」への強い思い入があり、あるポイントで、ガマンが足りないで、短絡的に排除の論理を駆動させて「暴力」でもって「平和」を仮構しようとするネオリベの政治とは一線を画するが、「経済的発想」をする点においては共通項があるかもしれない。でも、宮沢さんの方がいわゆるネオリベたちよりは徹底さがあったかもしれない。合掌。
 政治の基本は経済的発想だと思う。内実のない形容詞だけの「美しい国」で、思考停止した「反経済的発想」は自滅の道しかないでしょう。まあ、そうやって一億総不幸を共有して仲良く護送船団を組んで水平線の彼方に消えてゆくのが「美」だと言われれば、何をか言わんかです。
 僕の一番好きな言葉はWIN&WINです。経済的発想からは、それにアクセス出来るわけですよ。トクとソンの裏表しかないのなら、「暴力装置」しか最後の拠り所はないのでしょうが、そのような身も蓋もないものから、離陸するためには基本に「経済的発想」を据えるしかないでしょう。 

 経済的発想とは、例えば次のようにまとめられる。経済は自立的に動く、誰もが得する取引はある、他者との優劣より損得の絶対水準の方が大切、の三点。他方、反経済的発想とは、経済は操作可能、得する者の裏には必ず損する者あり、損得の絶対水準より他者との優劣の方が大切、の三点。

 もの凄くナットクします。左派であれ、右派であれ、どうして、「反経済的発想」をしたがるのか、僕自身がず〜と疑念に思っていたことですが、『論座』の特集記事は、このところ的を得たタイムリーさで、嬉しくなってしまう。
 同じ紙面に武田徹も『新しい「連帯」の可能性』と題して、『「公共性」から「連帯」へ』(林香里・世界7月号)、『「自由」と「安定」のジレンマ』(高原基彰論座7月号)、『それでも僕たちは「ライブドア」で働く』(町田徹・現代7月号)を参照して、
 正社員的「安定」に滑り込む以外に着地点を見いだしていないかに見えるバルブ崩壊後にフリーター人生を強いられたと主張する若者たちの抗議デモや連帯行動を、頭ごなしに否定せず、旧来の枠に収まらない開かれた公共的性格を持つ「連帯」へと接続させるように、批判的なまなざしの中で鍛え、育ててゆく必要があると、書いていますが、 勿論、その基盤にも「経済的発想」が必要であって、「反経済的発想」で、破綻を先送りする愚だけは避けたいものです。