究極の自己表現

オンライン書店ビーケーワン:一九七二オンライン書店ビーケーワン:一九七二ゆきゆきて、神軍 [DVD]
 前日の新風舎問題をめぐっての続きのようなエントリーですが、あえて、新風舎よりに考えて見ます。「新風舎からのお知らせ」に「表現者第一主義」を基本とするという「クール・ジャパン」顔負けの、クールな言葉がアップされていますね。何と、格好いい、って思いますね。
 このブログで結構、新風舎について書いていますが、読み方によっては、新風舎を「よいしょ」ってしているところもあります。
例えば『「希望」という商品』とか、『「白い本」の理不尽な生?』『町内にも共同出版・自己表現 』、まとめて、『こちら』とか、新風舎について沢山、記事を書いていますね、あらためて、大サービスにびっくりしました。熱風書房の画像までアップしている。
 究極の自己表現、自己責任のお父さんとも言える奥崎謙三について、leleleさんのところにコメントしましたが、

 1976年ですから、もう30年まえですか、奥崎謙三が『宇宙人の聖書』という奇書を自費出版して、全国の書店に段ボールで配送したことがありました。僕のいた本屋にも何十冊と送られてきたのですが、勿論、注文したわけではない、勝手に送りつけたわけです。その経費たるや、今の値段では一千万円以上でしょう。
何千万円かな、本職の電器商が儲かっていたにしても、恐るべき「自己表現」です。
 そちらで、勝手に処理してくれとのことだったので、欲しいお客さんにタダであげましたよ。でも、今、念のため、日本の古本屋で検索すると、6000円に値段がついていますね、残念(笑)。
 まあ、奥崎謙三の事例は特殊の特殊ですから、例証にはならないが、僕のいた本屋でも、著者による自費出版の持ち込みが時々ありましたよ。会計が面倒だから、受けつけなくて、お客さんにタダであげてもいいなら、もらってあげますよと言いましたね、それでもいいと、喜んでくれた人も人もいました。本屋の店頭に並ぶのが嬉しいのです。
 「欲しい方、ご自由にお持ち下さい」でも、
 例外は「ぴあ」でしたね、まだ学生だった彼らが持ち込んで、置いてくれて言ったのですが、そのカタログ情報に徹した小冊子が新鮮で、100円でレジの前に置いたら、すぐに売れました。(まさに自己表現ビジネスの対極にあったわけです)。ポスト・モダン到来の先駆けのように語られるようになったのも無理もないけれど、後付解釈ですね。
 とにかく、坪内祐三が書いているように『一九七二』の象徴的な分水嶺の出来事だったと思う。あれよあれよと、評判になって、大取次が取り扱うまでは、横浜では、僕のいた本屋さんだけが直販取り扱い店になっていましたね。
 こういう例もあります。ひょっとしたら、ひょっとするということも確かにあります。

 ひょっとして知らない人がいるかもしれないので、奥崎謙三のyoutubeの動画をアップします。
http://rimo.tv/#/channel?url=http://hatena.from.tv/view.cgi?id=117
 ■ところで、今や、新書ブームと言った状況ですが、かって、カッパ大将って言われた神吉晴夫という怪物がいましたね。サイトー商会経由ですが、第19回筑波社会学会大会での、ワークショップ「新書メディアと社会学の知」/「初期カッパブックスにみる『新書』の知――昭和30年代を中心に――」は面白そう。新書を語るに、カッパ大将の神吉さんは外せませんからね。
 神吉晴夫さんはカッパの創業者ですが、僕が持っている『カッパ兵法』は華書房から刊行されていました。
 ★同じくサイトー商会からの情報で、前編は過去ログで紹介しましたが、NBオンラインの広田教授の「ケチな改革が教育をダメにする 【後編】」がアップされましたね。