一冊の本を市場に出す大変さ

宮原昭夫小説選

宮原昭夫小説選

 小説を書いている友人から、某大手の共同出版社からの手紙を見ることが出来ました。僕も読んだ彼の小説にコメントをつけているのですが、その作品の講評は懇切丁寧で、出版プロデューサー○氏は本来なら作品の講評は数行でまとめるのですが、作品の出来栄えや面白さを評価して、「公共性」、「刊行の意義」、「社会的ニーズ」、「読者獲得の可能性」を検討して、以下に詳細に記すとして長文で力が入っている文章なのです。
 作品分析も具体的に頁を示しながら丁寧に論じており、問題点、違和の部分も適確に指摘している。その仕事にびっくりしましたが、彼らは結構真摯に作品に対峙しているんですね。勿論、友人の作品が例外の取り扱いだったかもしれないが、それでも、僕は友人が共同出版の企画に乗らなかったのは正解だったと思う。どれくらいの金額の提示があったかどうか知らないが、お金がないということもあるけれど、共同出版社系でデビュー出版することは、マイナスのキャリアになり得るという冷 たい返信を彼にしてしました。
 彼はネットをやっていないので、今、問題になっている「共同出版問題」についてどうやって啓蒙するのか、結構、難しい、僕の真意を誤解して怒ってしまうかもしれない。
 原稿用紙400字詰、5枚の彼にとってはキツイ、腹立たしい返事を書いたが、作品の評価以前に、一冊の本を出版することの「ハイリスク・ローリターン」の出版状況を縷々書いて、とにかく、文芸誌系、新聞社系、僕は、今度新しくプロジェクトが立ち上がった選考委員が高橋源一郎茂木健一郎唯川恵というユニークな面子の日本経済新聞社の◆日経中編小説に応募を薦めましたが、友人はこういうところに応募したがらない。
 恐らく、かって、文芸誌に応募して二次選考までいったけれど、それでダメだったという不信感があるのでしょうね、厄介ですよ、本人の中には当然、最終選考まで行って、受賞すると信じていましたからねえ。
 何度もチャレンジすればいいのに、そうはしない、作品は溜まっているのです。
 文芸作品としては質が高いことは間違いない。でも、文芸作品だからこそ、自腹を切った覚悟が必要なんでしょう。下のエントリーで佐藤優さんネットカフェ難民からの脱出方法として15人の友人たちから一人頭20万円ずつ借りて300万円を原資にしてアパートを借りて再出発を計るといった具体案を提示していますが、彼もそんな行動をとればいいと思う。
 そのような信用は彼にはあると思う。佐藤優が言うようながむしゃらさがあるかどうか、彼は、とてつもない度胸のある男でるけれど、又、「含羞の人」ですからね、そこが悩ましい。
 ◆ところで保坂和志さんが掲示保板で、河出書房新社を発売元にして出版流通に乗せた発行人川口ひろ子さんの力技に感嘆している。勝手に引用します。販促の一助になると思いますので…。

川口ひろ子さま 「宮原昭夫小説選」今日届きました。
発行者の名前を見てびっくり。「川口ひろ子」の個人名ではないですか!
発売は河出書房新社なのでアマゾンでも買えます。
でも、この本を作った人は川口ひろ子さん個人です。
A5判 670ページ2段組(つまり、プロジェクトK版「寓話」と同じ体裁。正味630ページに小説が30数編ぎっしり詰まって、5500円。
この労力に脱帽。

 ちなみに上に紹介した友人のもっとも新しい作品
 『いつの日か初夏(はつなつ)の風となりて』の出だしを書いてみます。

 こんな時に、何をまた面倒なことを思い出す、と立原は舌打ちした。そして頭に浮かんだものを、追い払い打ち消そうと、何度も何度も頭を振ったが、それは執拗に蘇り、彼の心をかき乱してくる。頭にしみついた昨夜の翠との会話が、レース場にいる今の彼の集中力を奪っていた。彼女によって、いつも心の深くで気にかかっていることを意識の表に引きずり出され、弁護も反論もできず、自分の中途半端な生き様に負い目を感じさせられたからだった。
 「今の四番、伸びがよかったですね」
 右隣の島川が相槌を求めてきた。
 観客席の高みから見おろす水面では、すでに第八レースの展示航走が終り、水を切り裂き、建物の壁に反響していたエンジンの轟音は消えていた。
 「よく見ていなかったんだ」
 立原は気のない返事をした。
 「少し変ですよ、今日の立原さん」
 「そうか」
 立原は短く答え、煙草に火をつけた。
 「島ちゃんは、こんな敗者戦の、軸にならない選手ばかりのレースに手を出すから、儲からないんだ」
 立原の左隣に腰をおろしている、癇癖の強そうな顔をした奥山がからかった。彼がこの二人と知り会ったのも、この多摩川競艇場だった。
 「じゃあ奥山さんは、何がくると予想しているんだ」
 「おれは買わないよ。こんなレースは金を捨てるようなもんだ」
 「でも配当はいいよ」
 「ばかだなあ。信頼する軸がないから人気が割れて、オッズが上がるんだよ。何でもかんでも手を出すと泣きを見るぜ」

 続きは公開の場で読めるようになればいいですね、ネットで公開というツールもあるんだよ、と言っても、ネットの力を信じていないから説得は難しい。データをフロッピーに落として(彼はワープロを使っているのです)、僕宛に送ってくれれば、僕のところでデータアップしてあげると言っているのですが、ダメなんです。
本作りの道筋がわからなかったと言うこともありますが、作りたい者が作るのだということ、作る価値があるものと出合ってしまったと言うこと。いつか「農民一揆のように」と、保坂さんに励ましていただきました。その言葉は、私をはじめ、仲間たちを支えました。(川口ひろ子)
 参照:宮原昭夫の少女小説 - 猫を償うに猫をもってせよ