徴(カタチ)♪何が現実か
- 出版社/メーカー: ユーラシア旅行社
- 発売日: 2006/05
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ネット媒体であれ、雑誌メディアであれ、伝えたい人たちに届ける回路が、あちらこちらで糞詰まりの状態になっているから、先駆けというか、お掃除というか、回路を通り良くする作業が、 赤木智弘の新刊「 『若者を見殺しにする社会』ー私を戦争に向かわせるものは何か」(双風舎)をパフォーマンスするキャンペーンブログだと思うが、様々な人のコメントを読むと、「赤木智弘」という人物に対して全然違った像を結んでいるのを改めて再確認しましたよ。
その多様性が面白くもあるんですけれど、日高敏隆『人は現物が見えるか』(『風の旅人 20号』)を読んでいると、面白いエピソードがありました。ある先生が小学校の教室で、いきなり「アリの絵」を生徒達に描かしたのですが、出来上がった絵は子ども達が作り上げたイメージを示す絵だったのです。
絵ではアリの体は頭と胴体の二つに分かれ、頭に二本、胴体に二本の肢が生えている。ひげは二本、頭から生える胴体のほうへ向かって、つまり体の後方へ向かって伸びている。このひげに、たいていの女の子は赤いリボンをつけていた。
アリは昆虫であるから、体は頭と胴体でなく、頭と胸と腹の三つに分かれているのが本当である。これが昆虫の特徴なのだ。そして、肢は四本でなくて六本。それが全部、胸から生えており、頭や腹(胴体)には肢が生えていない。
子どもたちが絵に描いたアリの絵は、まさに人間がイメージしている「動物」の姿、つまり、頭と胴体があり、それに四つ足が生えているという姿であった。
そこで、先生は「実物」(アリ)を見せるわけ。「これがホンモノのアリだよ」って。子どもたちは一生懸命実物を見て、修正し、よりホンモノに近いアリを描くとおもうじゃあない。でもそうではなかったのです。ほとんどの生徒たちの絵が前と同じだったのです。勿論、ちゃんと修正している子どももいました。
そういう子どもは、一枚目の絵を何度も描いたり消したりしていた子どもたちに多く、自信満々で頭と胴、四本の肢を描いた子の絵は実物のアリを見ても何一つ変わっていなかったのです。
子どもたちが実物を見ていないわけはもちろんない。どの子だって、実物はちゃんと、十分まじめに見ているはずだ。
けれどその実物が、自分の思っているように見えてしまうのである。つまり、自分のイリュージョンによって作りあげられたものに見えてしまうのだ。そしてそれ以外のものは、存在しなくなっているのである。
そのような経過を通って、大事な3つ目の話があるのです。先生は実物のアリを見せながら、それについて説明し、子どもが描いたものと参照しながら、子どもたちと様々なやりとりをする。このやりとりは引用しないけれど、そこにあるのは、勿論、説教めいたものではない。気づき、発見の手助けであろう。イリュージョンが修正されるには、これだけの手間が必要なんだと、日高さんは言う。人間は物を見たらすぐさまおいそれとそれに“なびいて”しまうわけではないのです。
僕はせめて、学者先生や院生さんを始めとした知識人、予備軍は「赤木智弘という現物のアリ」が人びとの目に見えるカタチで浮上してきたことに目をそらさないで、その意味するものが何なのか、人びとに啓発して欲しいものです。それが先生たちの役割だと思うのですが、間違っていますかね?
「現代の貧困」という新しいアリの登場なのか、キリギリスが「自己責任」で貧しさに対面させられるのは、まだ理解が届くけれど、「ワーキングプア」というアリは現行の社会システムに違和を表明しているのであって、平和という大風呂敷で既得権益を隠し覆そうとする言説に対して、「ちゃんと見てくれよ」と赤木さんは叫んでおるのだと思う。