露出度がアップ・アップですね。

 ◆追伸:『若者を見殺しにする国』が朝日新聞(12月9日)の書評欄に掲載予定ですね。
 毎日新聞の夕刊(12/6)の記事は「この一年の論壇」を総括して、中西寛・京大教授(国際政治)▽加藤陽子・東大准教授(日本近代史)▽ジャーナリスト武田徹氏が語り合っているのですが、この中で取り上げられた雑誌掲載の論文で僕が読んだのは、小沢一郎の『今こそ国際安全保障の原則確立を』(世界8月号)と赤木智弘論座掲載『「丸山真男」をひっぱたきたい 31歳、フリーター。希望は戦争。』の二編しかないのですが、武田さんが取り上げている【1】『二大政党は党利党略を超えよ』(井上寿一)=中央公論5月号、【2】『戦後日本の社会運動』(小熊英二)=論座11月号は読みたいですね。論者の赤木論文に触れた部分を引用してみます。

加藤 「ポストバブル世代」を自認する赤木和智氏は、戦争による格差の平準化をあえて論じた。だが、井上寿一氏が言うように戦前期戦争による平準化は、女性や農民等、下位にあった者の地位上昇を伴ったが、赤木氏のそれは、戦争で「国民全員が苦しみ続ける平等」。自己を犠牲にしても自分以外の者の地位をも下げたいと願う暗い願望が語られていた。考え違いだと説教する前に、こうした言説への対応法を知りたい。

武田 赤木氏の場合、戦争で焦土化した中で喪失を共有する平準化のイメージ。実際、戦後復興期の日本は例外的に階級流動性が高かったわけで、彼の真意をくんで、戦争や暴力なしにいかに戦後的な階級流動性を再び導くかという議論があってもよかったのだが……。ブログ言論も赤木旋風で盛り上がっているが、「中間層は痛みわけを」と赤木氏が提起しても、「年収何百万以上が中間層か」といったさまつな話にすぐ流れる。

 本屋で立ち読みしたら『週刊文春』でも赤木さんが取り上げられていた。露出度がアップしていますねw。
 ネットラジオpodcastでも音声アップされていますが、今回の放送は面白かったです。
 それにしても、武田さんの言う戦争や暴力なしにいかに戦後的な階級流動性を再び導くかという議論は必要だと思う。そこにリバタリアン的な小さな政府を補助線として、大きな政府の西欧社民主義的な社会との切り結びが行われるべきだと思う。
 参照:革命的非モテ同盟跡地「蔵研也「リバタリアン宣言」(朝日新書、2007)を批判する 」
 毎日新聞の編集部からの署名記事からの引用。

 連続した偽装発覚に、保守系知識人から「戦後日本のもろさを体現した」と評された「真性保守」安倍前首相の退陣劇。「幻想としての」社会が丸裸になった一年とでも総括すべきでしょうか。他方、小沢・赤木両論文など、論壇が多面的な議論を生む場として再機能し始めた感もあります。時代の跳躍点は近いかもしれません。

 サブプライムローンオイルマネー郵政民営化など、お金の余裕のある人はどんどん、投資をして欲しいと、銀行、郵便局で投資信託を取り扱いましたが、やっぱり、それ相応のリスクが大きいみたい。少なくとも金融のシーンでは流動化が加速している。相変わらず定期預金の利子は安すぎて目減りする。中間層にとっても将来が不安で、余裕がないのです。多分、既得権益が万全でないと思っている。むしろ、流動化の波がきついと思っているのではないか?それにもかかわらず、下方の方から「流動化(戦争は、希望)」と叫ばれると「そりゃあ、ないぜ」って言いたくなるのでしょう。