僕のコメントのみを転載(ミクシィ)

 ミクシィで、【「あえて」でも戦争は、希望と言っちゃあいけないのか、】2007年12月12日 11:30
 のトピックを立てているのですが。僕が書いているところだけ公開します。相手のあるやりとりなので、誤読・誤配を生む文章になっているかもしれませんが、そこは御寛恕下さい。
 ◆赤木智弘さんが、毎日新聞の夕刊(11月22日)の「文化 批評と表現」の紙面で、同年輩(1975年生)の中島岳志さんと『アジア対談』をしていますね。赤木さんの本『若者を見殺しにする国』にしろ、語り口にしろ、ネットのエントリー、コメントにしろ、誤配、誤読をしやすい危うさがあるので(それが長所でもあるのですが)、そこで、彼は中島さんにこんなことを言っている。

赤木 「戦争がしたい」って要約すると単なる破壊願望だと思われるし、それを否定すれば「あれはレトリックであって、赤木の本心は別にある」と言われます。そうじゃなくて、本心は両方にあるんです。
 自分たちフリーターは働き続けても、昇給はなく安定は望めない。何とか社会階層を流動化させたい、変えたい。でも、従来の左派が代表してきたのは正規労働者であって、つまり我々は左派からも見放されている。だから、階層が流動化する機会としては、戦争だって希望になるのではないか。本当は、戦争は回避したいのだが、というのが骨子です。

 この辺りが微妙なところで、「戦争」はネタ的に弄ぶことは絶対してはいけない聖域なのかという問題提起です。僕にも考えが纏まらないところがあるので、トピックを立ててみました。
1 2007年12月12日 12:20 ●●
2 2007年12月12日 12:49id:kuriyamakouji
そうか、隠されたものが、顕在化したわけですか、
高度経済の豊かさの中で閉じ込めておけば、みんな、ハッピーだったわけだもんね。
そんな豊かさがなくなったし、これからも期待できなくなった。
そんなわかりやすい見取りで、取りあえず僕もペンディングしているわけ。
中島さんは、札幌で町内活動にも熱心らしい。取りあえず、身近なところで、僕も地道に町内活動を意識してやってみようかと思いましたよw。とにかく「戦争」をタブー視する頭の固さを流動化したいと思います。
3 2007年12月12日 16:35 ●●
42007年12月12日 17:47id:kuriyamakouji
確かにかような視点から検証すべきでしょうね、
先日の12月9日の鼎談トークの後半で宮台さんが、そのあたりのことに言及したみたいですね。
最近、特にサブプライムローンの問題だとかで、マーケットの動きをみると、結局、ロシアを始めとした資源国が強いなぁと思います。資源の分捕り合戦になれば、日米安保体制で暴力装置を顕在化しなくてもよかったのに、反米とまでは行かなくとも脱米を(最早、アメリカさんも依存させてくれなくなると思うわけ)心がけると、世界11月号に掲載された小沢論文をマットウに検証しなければならないと思うわけ。軍事という言葉を使わなくとも、暴力とお金は、不即不離のところがあるし、厄介ですが、そのことについて逃げないで語らないと、一歩も前に進めない。
5 2007年12月12日 18:11 ●●
6 2007年12月12日 20:13id:kuriyamakouji
 藤原新也さんが、こんなことを書いていましたね、

そういった締め付けの厳しい中、風景は夢のように美しかった。
人々のたたずまいもかつての世界というものはこうではなかったかと他国人でありながら郷愁を覚えるほど美しかった。若者の姿にも頑強なものがあり、今の韓国映画の俳優に見るようなやさやさしい者はいなかった。href="http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20071002

明治45年生まれの僕のオヤジは18歳〜28歳までの青春を大陸の戦場で過ごしたのです。
ブログにも書いたことがありますが、遺品や従軍メモを整理していて、感じたことはそこに生活があり青春があったことです。その十年間を否定することはオヤジ自身を否定することになる「切実さ」を僕はそれらのアルバム、日記、遺品から発信する力を感じました。山口瞳の「卑怯者の弁」が感じたことも部隊だとか、実際の戦場の近さだとかで、だいぶ違うかもしれない。むしろ、オヤジは軍隊組織の規律を深く内面化していたような気がします。戦後、商売を祖父から引き継いだのですが、正月、盆休みだけで、職住は同じところ、商売に失敗して、元戦友に拾われて会社勤めをスタートするのですが、会社のビルの屋上に住居を建ててもらい、又も職住一体です。旗日の日は必ず日の丸を掲揚していました。まさに企業戦士として戦後を突っ走る。でも、そこに戦争体験からくるある種の倫理観がありましたね。無茶苦茶が出来ない。でも、オヤジの息子たち、僕を含めた団塊の連中は最早そのような倫理観を徹底して壊した気がする。バブルがそれを加速したわけですが、1995年を分水嶺としてその付けが露呈し始めたのではないか。僕は団塊ジュニア世代(就職氷河期世代)がオヤジ達を乗り越えて、新たに運動を起こすのはとても腑に落ちる流れだなぁと昨晩の中島岳志トークを聴いて思いました。
9 2007年12月12日 21:14 ●●
10 2007年12月12日 21:38 ●●
11 2007年12月12日 23:44 ●●
12 2007年12月13日 11:25 id:kuriyamakouji
一昨日の「中島岳志ビッグイシュー を応援す」のトークイベントで、中島さんの立ち位置はいわゆる左派ではない立場から「貧困問題」に関心を持っている。今、札幌に住んでいるのですが、行政側と折衝してホームレスのビッグイシュー販売員のためにブースを確保して、時々チャリンコに乗って、販売状況を見たり、応援しているとのこと。そのようなささやかではあるけれど、身近で出来て継続する範囲、又はネットとか、言論で、右派にも「貧困」に関心を持ってもらうことが大事ですよね、
先日、若者で、生活出来ないから、福利厚生施設として刑務所を利用するために犯罪を犯した事例がありましたね。かっての裏稼業(ヤクザであれ、マフィアであれ)もそのような、又、現に日本だけではなく、他国でも、「貧困救済」の面もあったし、寺院・教会など宗教施設でも出家による回路があった。
上に紹介した僕のオヤジは晩年になると、風来坊の愚息である僕に向かって、「出家して坊主になれ」ってよく言っていましたね。左派の人たちは確かにこのような回路を肯定的に語らない、そこが問題だと思いますね。
「健康な社会願望」が強すぎる。かってのナチズムはそんな「過剰な健康さ」が戦争を招来したところがある。いわば、「反戦運動」が戦争を呼び込む回路をつくることもあるし、単にナイーブに「反戦」を叫べば「戦争は消えてなくなる」ものではない。
13 2007年12月13日 11:49id:kuriyamakouji
そのことで、僕はオヤジに反発したところがあったと思う。
オヤジは官僚ではなく、召集されて二等兵から十年間も軍隊生活を送ったのですが、除隊の時は下士官曹長・軍曹)でした。
オヤジの遺品を整理すると、又は言葉の端々、定期的に開催されるかっての戦友達との会合を楽しみにしたり、どうも「戦争」と「青春」がオーバーラップして懐かしがっているところがありましたね。
僕の母親は大正生まれで、現金収入のない母子家庭だったのですが、男達が召集されて銃後を守るという観点からも労働環境がよく、片親というハンディがあるにもかかわらず、今のNTT(日本電信電話公社)に高等小学校を出て就職できました。仕事は定時に終わり、クラブ活動もあり、今より福利厚生が充実していたみたい。そこで、電話交換手をしていたのです。給料もよく、仕送りも出来ました。お袋の現金収入は一家にとってもの凄く頼りになりました。
戦争はそのような労働環境を好転させる面があることは間違いない。
このあたりの時代を検証しようとして、鮭缶さんが、赤木キャンペーンブログに取り上げてくれましたが、ちょうど、今、同居している老母はその時代、青春を送っているから時々聞くことが出来ます。単に思想のフレームが先にあって当て嵌める言論に関しては注意深くありたいと思います。
14  2007年12月13日 12:02id:kuriyamakouji
井上寿一日中戦争下の日本』はそんな本でしたね。
鮭缶さんの「戦争がマジで希望だった時代。」http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/20070915/1189873591
僕の拙レビュー 「 今は昭和戦中期なのか?」http://www.bk1.jp/review/0000462784
15  2007年12月13日 13:02 ●●
16  2007年12月13日 13:29 id:kuriyamakouji
資本制というシステムの中で生きるしかないと、「お金」=「希望」で駆動する。
そこに国民国家としての暴力装置が支える。その構造の外から出ることが可能かどうかの思考実験が、白井聡の『未完のレーニン』だと思うのです。そこでは、国家が死滅する。でも、今は左も右も資本制のフレーム内で押したり引いたりしている。そこではお金がすべてです。そして暴力装置としての国家が必要になる。
常に戦争を胚胎させている。そういうことでしょう。
お金が希望から出発すると、戦争が希望になってしまう構造があるのです。
◆このエントリーはミクシィ内でやりとりしているので、コメントカキコは、ここでは遠慮させてもらいます。ロムだけです。悪しからず、僕の整理能力では混乱しますので…。
 ちなみに●●さんは同一人物ではなく、色々な人です。追補でこれからも僕のコメントだけをコピペします。

17:12/13●●
18:12/13●●
19:(12月14日)記id:kuriyamakouji
先ほど、スーパーモーニング『特集・時空ミステリーは「三億円事件(昭和43年12月10日発生)』で、大谷昭宏がレポーターで、三億人犯人の検証番組をしていたが、白バイ隊員を父親に持つ息子(少年A)が第一容疑者であったが、オヤジがいる前での青酸カリを服毒する不審死があった。あの見慣れたモンタジュー写真は少年Aの実の兄の写真を下敷きに作成されたものだと言う。でも、兄は事件が起きる前に死んでいる。事件そのものが不思議だらけですが、どうやら不審死で、決着をつけた疑いが濃厚との報道姿勢でした。この三億円は現在に直すと25億円ぐらいでしょう。それでも、一円も使われてなくて、焼却された疑いも濃厚。保険に入っているから、東芝も、銀行も外国の保険会社にリンクして盗難保険をかけているから損失はない。襲われた方も怪我もなかった。成る程ね、と思いました。
「問題解決はお金」であれば、取り返しがつくけれど、戦争による「いのち」は取り返しがつかないということかもしれない。
多分、取り替え可能な「資本」/取り替え不可能な「命」を秤にかけて検証することは妥当かでしょうね。
例えば時代劇で定番とも言える悪徳商人・悪代官の悪巧みを裁く水戸黄門みたいな「お上」のモラルにすがる番組が延々と好まれていますが、江戸時代の田沼意次を別の視点から評価できるところがある。松平定信寛政の改革を行って質実剛健の生活習慣を習俗化しようとして財政を立て直したわけでしょう。
明治以降はその財政の立て直しが内政へと向かわず、外に向かい大陸進出にもなった側面があるわけですよ。
僕は、戦争か平和か問われれば、平和と言いたい、何とかお金で解決できる面があるから、競争原理と言っても、「賭金」にお金を賭けるか「命」を賭けるかで、「お金」というところでブレーキをかけたいと言うのがあります。にもかかわらず「命」という時は多分「ブラフ」(はったり)としてのカードだと思う。でも、人間の不思議さは局面において「ブラフ」が本気になることがある。今年の漢字は「偽」でしたが、考えれば「偽」って、人間以外の動物にとって無縁だと思う。「偽」から「言葉」が生まれたものでもある。
「演技しているつもりが演技させられている」といったパラドックスが人間には常にあるわけですよ。単線ではない。矛盾と常に伴走する生き物だと思う。
●●さんの言うプラグマチズム的な敵の設定は、そうしないと現状が良くならないというのはよくわかる。だから、僕は政策毎にワンポイントで政治行動するのが一番、ベターだと思う。僕自身はそんな投票行動を取りました。 よく考えれば、無所属から自民党民主党社民党新党日本共産党etcと、そのときそのときで、全部、違う(笑)。例えば、高速道路無料化に賛成だから、それを支持している政党はどれだと考えるわけです。