自己責任の前に社会的責任

 先ほど、スーパーモーニングで「ワーキングプア年越し密着」報道をしていました。元郵便局に勤めていた方が住宅ローン2000万円、妻子は家を出て行って、「何とかせにゃあならん」と働く意欲が旺盛である中高年齢の人が顔出しで出演していましたが、戻ってきて欲しい奥さんや、子どもさんが、この番組を見たら、どう思うのだろうか?そんなことを心配しました。一方、30歳ちょいとのネットカフェをねぐらにする男の人は顔出ししていませんでしたが、「ワーキングプア」の人口が増えているのには驚きました。年収200万以上の人が一千万人以上で、働いている人の4割を占める。格差の拡大は着々と進行ということでしょうか、昨夜のNHKクローズアップ現代で、オイルマネーで潤った連中の金銭感覚の馬鹿さ加減にあきれました(1億数千万円の車を平気で購入する)が、今年は、どうやら疾風怒濤の1年になる予感がします。
 赤木本キャンペーンブログで、みれいさんが、、
>銀行や役所でも1時間あたり数百円で仕事をこなしている人がいるという状況になっています。その人たちは怠けていてそれで自己責任なのでしょうか?
 というコメントをつけてくれましたが、
 勿論、誰もそういう人たちに対して「自己責任」と言う資格はない。ホームレスの人たちは缶集めの作業を一日、十時間もやっている。それで、1000円で時給は100円です。そういう状況に対して、「自己責任」ということは言えない。でも、そのような人々は「自分で自分を責める」人が多い。そういう人たちに対して、もっと大きな声をあげて、「社会に問題があるんだ」と、言って欲しいと思います。そうして言ってくれたからには、ささやかながら応援したい。弱った人の傷口を塩で塗りこむような残酷なことだけはすべきではないと思う。そのような最低限のことは、誰だって出来ると思うのです。何故、自分より弱い人を見つけると、その人に向かって、「自己責任」って言いたがる人が相変わらずいなくならないのか、いじめの構造にも似たようなところがあると思う。「社会の責任を問う」ことは、強い人、強いもの、又は難問に向かわざるを得なくなる事態になると思うのです。
>他の人の問題についても自己責任と言って済ませてしまっては何の協力にも互助にもつながりません。
 とみれいさんが言っているが、そうですね、多分、結論(「これ以上、他者とかかわりたくない」)が先にあって、単に「自己責任」って言っている場合が多いと思う。