偶には本をジャケ買いで♪

ブラックペアン1988[rakuten:book:12522149:image]世界の中心で、愛をさけぶ鴨川ホルモー [ 万城目学 ]装幀=菊地信義の本 1988~1996 
 本当はリアル書店が単店でも仕掛けるべき企画だったんでしょうね。
 2月10日の日経の署名記事(文化部 多田明)・「本の販促、装丁家に着目 トーハンが初のフェア」は、「なるほど」とナットクしました。ネットではない、リアル書店の特色を生かしたフェアですよ。コンテンツではなく、装丁という器に注目して装丁家の個展会場のようなスペースを作る。そう言えば本の装丁家、挿画、デザインに拘って何千と書評をbk1に投稿しているbk1書評鉄人「みーちゃん」さんは殆どの書評に装丁家、デザイナー達の名前を挿入して作品批評だけではなく、カタチとしの本の仕上げについてコメントしていますね。
 プロの書評家でそこまで拘っている人にお目にかかったことがない。「みーちゃん」さんは貴重な存在です。
 取次大手のトーハンが本の装丁のスポットを当てた販促フェアを仕掛けた担当者は企画推進部の成田智氏で、単行本に拘るみたい。「重みや紙の質感、棚に並べたときの美しさなど、ハードカバーならではの楽しみは多い」とコメントしている。
 第一弾は、鈴木成一、第二弾祖父江慎、第三弾柳澤健祐、第四弾岩瀬聡と毎月一人の装丁家をそろえ本人のプロフィールを紹介した専用コーナーを設けるとのこと、参加の書店は約百三十書店だとのこと。
 問題は装丁情報は大手取次でもデータベース化されていなくて、成田さんは、昨年末から本屋さんめぐりをして一冊、一冊、誰が装丁したか確かめたと言う。

読者が考える装丁の良しあし、好みは数字で示せない感覚的なもので、売り手が把握するのは容易でない。システム化が進む出版流通の中で、装丁の魅力をどう位置づけるか。書物の価値を文化的に考え直す機会にもなりそうだ。

 と多田さんは結語している。ちょうど、パソコンの傍らに内容もさることながら、装丁にも徹底的に拘った小冊子『新菜箸本撰 第五号』(発行「心斎橋研究」同人・頒価300円)があったので捲っているのですが、画像でアップしても言葉を連ねて内容紹介してもそのすばらしさは伝わらないとつくづく思います。心斎橋の中尾書店で頒布しているから、そちらで手にとって味わうしかないですね。
 過去ブログで旧号の画像をアップはしていますけれどね。(http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20060904)(http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20060908)(http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20070113)本文とコメントは直接、画像とは関係ないみたいですけれど、(汗)。
 そんなことで装丁家のことが気になり、みっちゃんさんのbk1書評をクリックしたら、最初の一頁目にこのような詳しいデータがあったわけです。投稿書評件数は2000を越えているから大変です。一部参照として、左に「みーちゃんさん」の書評アップのアドレス、右に紹介された書評家、デザイナーなどをアップしました。
http://www.bk1.jp/review/0000464162鈴木成一/日端奈奈子)
http://www.bk1.jp/review/0000464140(中島かほる/桜田晴義)
http://www.bk1.jp/review/0000464126(唐仁原教久/最上佐知子)
http://www.bk1.jp/review/0000464109(新潮社装幀室/井筒啓之
http://www.bk1.jp/review/0000464088 Vela(斉藤昭、山口美幸)/紺野慎一(凸版印刷
http://www.bk1.jp/review/0000464068(大路浩美/緒方修一)
http://www.bk1.jp/review/0000463970(小川惟久)
http://www.bk1.jp/review/0000463946(高柳雅人)
 それから、「装丁家」でグーグル検索したら、退屈男さんの装幀の冒険の2004年のデータを見つけてしまった。僕自身もコメントを書いている。ハンドルネームが葉っぱ64になっていますがね。『装幀=菊地信義 〈本の肖像書物のドラマ〉』(フィルムアート社/菊地信義・フィルムアート社編著)について書いているのですが、確かに、僕だけではなく、書店員にとって、装幀、本のカタチ(器)は記憶保存のフックになることは間違いない。

現役の頃、目録だけでは書名は頭に入らないが、本を手に取り、触ると画像と質感で装丁込みの全体として記憶されるのです。そうすると、お客様からの問い合わせで、ぱーと、画像が浮かぶ。だから、このころ出版された本は読んでいなくても、執拗に記憶されています。ネットでは触ることが出来ないので、すぐに忘れてしまいますね、リアル書店に行くのは、記憶を確かにするためでもあります。

 もうひとつ退屈男さんのデータから引用。

書店員である田口久美子さんは、ある本をさがしだそうとするとき、本が、というよりも装幀が声を出して呼んでくれるという。とくに菊地さんのばあいは。
 「題字の字体に装幀家独特のクセがあるわけでなく、決まりきった色があるわけでもないのに。また著者名がローマ字でふりがなのようにつけてあるというパターンも、思い起こすときには忘れられているのに。彼は他の名だたる装幀家のように、自分に合わせた表現方法をとらない。なのに、なんだろうこの強い印象は。」

 本の装丁のスポットを当てた販促フェアは何で今までやらなかったのかと不思議な気もしますね。リアル書店ならではの企画だと思う。ネットでは、触って楽しむことが出来ない。記憶ってネット画像だけでは、心許ない。僕なんかすぐに失念してしまう。
 トーハンで企画している装丁を画像アップしましたが、僕の好みとは違いますね。まあ、仕方がないかぁ、(笑)。
 追記:朝日新聞で、文庫本のジャケ買いなんていう記事がありましたね。('07年9.18)

「文庫王」の異名を持つフリーライター岡崎武志さんも集英社蒼井優版『友情・初恋』を「ジャケ買い」したひとり。「全部を蒼井優にしてほしいくらい大賛成。これをきっかけに、ほかの作品を読んでみようと思う人がいるかもしれない。教科書からも近代の名作が消えていく中、文庫は若い世代への啓蒙(けいもう)という役割を担っている」
 「文庫は古くて堅い武士のような存在だった」と岡崎さんはみる。たとえば古典なら、淡い模様のような抽象画で文学世界を表現するカバーが定番だった。「今は、若い人たちの本に手を伸ばす力が弱くなっている。だから、本の方から手を伸ばしていかなくてはいけないのでしょう」

 確かにそうかもしれない。本屋の陳列も棚差しから面陳(メンチン)が増えましたね。でも、棚差しで、ずらりと並んだ背文字を順番に読んで行くのも捨てがたい。楽しい。
 参照:http://homepage3.nifty.com/soteifan/