「現実への逃避」の向こうに『治療を超えて』

治療を超えて―バイオテクノロジーと幸福の追求 大統領生命倫理評議会報告書

治療を超えて―バイオテクノロジーと幸福の追求 大統領生命倫理評議会報告書

 ある問題解決に当たって、それが「図書館の存続問題」、「後期高齢者医療制度」にしろ、それぞれが、自分の信じている「根拠地」(世界観)を隠し持って、いや最早そんな根拠地は端からなくて、対処療法的に問題処理をしようとする。
 大澤真幸的に言えば、「理想の時代」から「虚構の時代」の問題だと思うけれど、最早、「虚構の時代」から「不可能性の時代」へとシフトして、「現実からの逃避」ではなくて「現実への逃避」という強度が働いているのではないか。「根拠」の変わりに「動き回る」とによって己を、世の中を支える。「速度」が「根拠」なのかも知れない。
 スクラップを整理していたら、日経(2008年3月16日)の記事で森岡正博さんが、「半歩遅れの読書術」で生命倫理学の本でレオン・R・カス編著『治療を超えて』(青木書店)について、書いているのですがこの本は電子版と併読出来るのですねぇ。アメリカの生命倫理評議会が2003年にブッシュ大統領に提出したレポートを全訳したものですが、原典の英語版はアメリカ政府のサイトから無料で全文ダウンロード出来る。(http://bioethics.gov/reports/beyondtherapy/)
 日経記事で森岡さんが指摘している部分を引用します。

 さて、この本は、生命テクノロジーがどんどん進んでいっても、必ずしも人間は幸福にならないと訴えている。そんな内容のレポートが米国大統領に提出されたのだから、生命倫理の世界に大きな衝撃を与えた。
 それまでの米国では、研究を最大限に認めて、できるかぎり自由な生命科学研究を推進するべきだという考え方が主流であった。ところが、このレポートは、人間を改造することよりも、人間に与えられたものを大切に使い切っていくことのほうが、よっぽど人間的なのだと主張して、生命科学研究に水を差したのである。
 この主張の裏側には、米国のキリスト教保守派のイデオロギーがある。興味深いのは、その翻訳が、日本では左翼系の老舗出版社から出ているということだ。このねじれはたいへん面白い。米国の学会で私がこのことをしゃべったときには、会場から驚きの声が上がった。

 僕は、このねじれはどのような時代の風、「理想の時代」であれ、「虚構の時代」、「不可能性の時代」、なんであれ、大澤さんのキー概念「第三者の審級」(大きな根拠)が風化したか、そもそも端からなくて露呈したのか、それともその「根拠のなさが根拠」だと言うことか、僕もはっきりわからないが、ただ言えることは、その「根拠のなさが根拠」は根拠である限りに置いて超越的なまなざしが挿入する。
 資本主義であれ、マルクス主義であれ、隠蔽されたカタチであるにせよ、宗教的なものが「根拠」になっている。
 「現実への逃避」の向こうに、『民主主義を超えて』、『治療を超えて』があると思う。

Beyond Therapy: Biotechnology and the Pursuit of Happiness

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