パラノイド・ピースパーク

 毎日新聞の学芸部から、「平和をたずねて」(2008年6月4日 西部朝刊)という福岡賢正の連載記事「快楽としての戦争(1)」には唖然としました。亡父も中国(満州)に出征し、こちらの図書館に資料として寄贈もしたのですが、その満州国出征記念アルバムにも当事者達の単に悲惨だけでは語れない写真が散見する。(参照:犬死によりは怪猫、飼い猫よりは野良犬 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
 昨日、ランボー 最後の戦場を見たのですが、映像の悪夢が満州の地でもあったのかと慄然とする。

「黎明(れいめい)の山河『薦野(こもの)の戦記』」という500ページ余りの本がある。福岡県古賀市の山あいにある旧薦野村在住・出身者が、それぞれの戦争体験を寄せた手記集で、地区の公民館が昭和59(1984)年に発行した。その154ページに、こんな文章が載っている。

 そして、サブタイトルが『そこに「素敵!」もあった』と言うのです。続きは全文ネット公開されているから、こちらで、(http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/
 福岡さんは、《悲惨さの実感がなくとも、戦争の誘惑に抗しうる社会はどうすれば築けるのか。それを考えるために、戦争が持つ快楽の側面に、あえて光を当てる。》として、かような毒入りのアクセスの方法をとったのでしょう。次回は11日ですね。とても勇気ある記事だと思う。

「それがショックと言うか……。皆さん、まじめに百姓しよんしゃあでしょうが、今日。その方がよ。振り返れば、食料徴発に出て、銃剣突きつけて食べるもん出せって。そっで逃げたら後ろからグサッと刺したとか。しかかってきたら2、3人で叩(たた)き殺しよったとか。笑いながら話されるんです。思い起こせば楽しかったということですかねえ。似合わんなあと思ったとですよ。おとなしゅう百姓しよんしゃあ人がねえ。それでのぞいてみたい窓口を見つけた気がして、体験文を寄せてもらったんです」ー平和を考える - 毎日新聞

 先日、「図書館・博物館における専門スタッフの役割を考える集い」に一般参加して、主催者の人が記事録要項をアップしましたが、「ピースおおさか」の人の発言要項の一部を引用します。

[…]ピースおおさかは1991年より17年間戦争の悲惨さを伝えてきた。大阪ではアメリカ軍の空襲により一万五千人の方々が亡くなっている。ピースおおさかはそれら亡くなった方々、その遺族、戦争で被害を受けた方々の思いを背負っている。自分もいろいろな方の戦争体験を聞くと気持ちが重くなることもあるが、それ以上に苦しい体験をしてきた体験者の思いを記録し、伝えていく重要な役割がピースおおさかにはある。
 ピースおおさかの運営も厳しくなってきているが切り詰めるところは切り詰めてやっていく必要があると思う。当館だけでなくそこで働く学芸員(司書)はその人ではないとできないことがある。お金だけで問題をかたづけないでできることを探る、たとえばもっと今の人々に訴えかける力のある展示や事業をめざすなど取り組んでいきたいと思っている。ーhttp://shaunkyo.exblog.jp/8278817/よりー

 僕は広島の呉で高校二年生までいたので、大和ミュージアムのニュースは結構、追跡していたわけです。06年7/18のブログにかようなことを書いている《昨日の毎日新聞の報道によると呉の大和ミュージアムの来館数が一年目で170万人ですって、目標数が40万人だったので、驚異的な数字です。まあ、二年目はどうなるかわかりませんが、展示内容によってはこんなにも人が集まるということが証明はされましたね。ITや、ロボットやゲームや萌えや車や…のイベントでなくとも「戦艦大和」で集客出来るとは恐るべきです。》
 僕はまだ、行っていませんが、地域の人で結構行っている人がいますねぇ。
 ところで、『ビックイシューと陽気なホームレスの復活戦』を書いた櫛田さんが大和ミュージアム感想記を書いて、朝日新聞声欄に掲載されたとある。それがこちらの記事です。♪信じられないバカばかり : 本日ノ モンダイ
 その前に櫛田さんは広島平和資料館に行って辛辣な批評記事を書いているが、資料館・記念館とは、たった一つの切り口ではなく様々な回路があってもいいと思う。櫛田さんは、痛さ・不快感が体感出来る展示でないと戦争を抑止し、平和を渇望する啓蒙メディアにならないと言っているのでしょう。そこには母親としての切実な願いも感じられる。

小学校低学年の子供が、一人で歩きまわれるような資料館ではダメ
理解できなくても写真が怖くて見られない、お母さんから離れられない
そんな空気を作る場所であるべき ーくたばれ広島平和記念資料館 : 本日ノ モンダイよりー

 僕のような諦観の色に多少毒されたものにとっては、耳が痛い話ですが、何故、「大和ミュージアム」は博物館としては類例をみない人々を動員できたのか、冷静な分析があってもいいと思う。
 かような記憶メディアは政治・行政主導型ではなくて、自然発生的に街角、地域にパークとして現れるのが一番いのかも知れない。パラノイドパークという映画をみたけれど、それを見ることによって、体感することによって、それぞれが自分の中にそれぞれのパラノイドパーク(秘密)を発見し、世界とのズレを埋める言葉を溢れ出させ、誰かに向かって手紙を書く…、そのメディア(媒体)として、施設は本来あるんだろうねぇ。
 そして、歴史は更新される、記憶も、「記憶の総体は生き物であって、絶えず個々の成分の総量を変えている。現在に生きることが過去の重みを変える。」(中井久夫
 パラノイドパークのような資料館は可能なのだろうか、