「善きサマリア人」にとって最早「ノーカントリー」なのか。

「野宿者襲撃」論

「野宿者襲撃」論

「隔離」という病い―近代日本の医療空間 (中公文庫)

「隔離」という病い―近代日本の医療空間 (中公文庫)

 shohojiさんから『ルカによる福音書の「善きサマリア人」の話からインスピレーションを受けたと思われる、小説・詩・音楽・映画などの作品をご存知の方、このコメント欄を使って教えていただけるととても嬉しく思いますという発信がありました。
 「善きサマリア人」といえば、『<野宿者襲撃>論』を書いた生田武志を思い出すことが出来、僕自身bk1書評でこんなことを書いていた。

生田はイエスの「善きサマリア人の譬え」で言う「隣人愛」について語る。
≪「国家・会社・家族」の相互連携によって総中流社会を実現した日本社会は、従来、「隣人」の概念を(イエスが激しく批判したユダヤ教のように)共同体の中に解消することで存続してきた。しかし、「他者とは何か」という問いは、最もラディカルな場合、共同体ではない「社会」とは何かという問いの形を取る。社会は、必ずしも「国家・家族・学校・会社」の共同体の形をとらないからだ。事実、特に1990年代以降、日本社会はそれまで見なくてすませてきた外部に「ホームレスが隣人になる」という形で直面するようになった。そのとき、日本社会の「原理」の限界、言いかえればポスト冷戦期の「普遍」的問題を通して「社会と自己との関係」づけの新たなかたちが問われるのである。(中略)そして、これは宮台真司の言う「公的なものの暴力的な具体」としての「天皇」ではなく、むしろ共同体への批判である「隣人愛」の一般化としての「普遍」である。したがって、それは「資本・国家・家族」を離れて、例えば遠い他国の人、次世代の人々、あるいは「敵」として現れる人々への関係としてわれわれの前に現れる。/「隣接性」は、「善きサマリア人の譬え」で語られるように、従来の共同体に「運命をはらんだ葛藤」をもたらす。しかもこの「葛藤」は、「共同体の中断」によって「普遍性の最初の投影」をもたらすだろう。そして、「瞬間によってはじめて歴史がはじまる」ように、そのとき「隣接においてはじめて社会がはじまる」はずなのである。(p168)≫
 「瞬間」、「隣接」概念は少しわかりにくいかもしれませんが、本書で確認してもらうとして要はこちらからサマリア人のように具体的にアクションを起こすことでしか、隣人は現れないということでしょう。生田が書くように襲撃を行うのが若者だとしても野宿者問題に激しい反応を示し、サマリア人のように「その人を見て、はらわたをつき動かされ、近よって」来るのも若者なのだ。『ある子供』のブリュノにとって「その人」はソニアであったし、そして、ソニアは又、ブリュノを「その人」として気付く。そこに希望の萌芽があるのだし、本書にも人って変わるんだ、世界も変わるんだという人を動かす駆動力がある。

 ここで、僕は映画『ある子供』に言及しているが、はっきりと確認は出来ないけれど、誰かがどこかで、映画『ノーカントリー』と『ある子供』を対比して、批評を試みた人がいたが、確かに『ノーカントリー』の原題は「NO COUNTRY FOR OLD MAN」で、大澤真幸は「善き人のための国はどこにもない」と翻訳したことでもインスパイアされるように殺人鬼シガーは反転した「善き人サマリア人」という気がしないでもない。そのような仮説を立ててもいいのではないか。
 ちなみに生田武志のネットで「口実としての『自己責任』」という膨大なテクストがアップされていますが、■その17に「良きサマリア人」の隣人愛という項が掲載されています。
 ところで、shohojiさんのコメント欄で、「善き人のサマリア人」からリンクして、遠藤周作の原作『わたしが・棄てた・女』から映画遠藤周作からの連想で、浦山桐郎監督「私が棄てた女」熊井啓監督「愛する」を紹介したが、そのネタ本は武田徹の『「隔離」という病い』(中公文庫)なのです。ところで、♪第16回 「人間回復の橋」20周年から が、タイミング良く音声アップされています。

1988年に完成した、岡山・邑久長島大橋。
『人間回復の橋』と呼ばれるこの橋が結ぶ土地の間は、最も近いところではわずか30mほどしかない。長島はかつて「愛生園」など、ハンセン病患者を強制隔離する国立ハンセン病療養所が置かれた土地だった。橋が架けられなかった理由・架けられた理由を振り返った後、「回復」してきた長島の20年と、その対岸にある「こちら側」が経てきた「人間性喪失」の20年について考える。
子どもの携帯電話利用や、それに対するコンテンツのフィルタリングなどを基点に、現代の「隔離」について議論が展開される。「国や社会と個人、家庭、親と子の関係、権利や責任」「人間と人間との関係は、どのようにあるべきなのか」「リスクの受容と、それとの付き合い方」そして「ハンセン病の歴史から学ぶべきこと」……録りっぱなしの75分。

 このあたりにも、「善きサマリア人」に関するヒントがあるかもしれない。音声なので、shohojiさんのお嬢さんも聞き取りが出来るかもしれない。参加メンバーは、・白戸直人氏・赤木智弘氏・武田徹氏です。
 さっそく、ミクシィの方で応答があって、マイミクさんが、『善きサマリア人』のスピリットが流れている映画として、スタローン出演の『コップランド』をあげてくれました。
 

コップランド [DVD]

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