「思想地図」/「αシノドス」/「ロスジェネ」

♪書店ニュース:「ジュンク堂新宿店」の「思想地図」フェアが好評につき会期延長ですねぇ、(7月13日まで)
リブロ池袋店の「右見て 左見て さぁ前へ!」のコーナーも面白そう。

出版業界の危機と社会構造

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キャラクターズ

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毎日新聞大阪版夕刊(7月2日)文化欄の署名で『若手論客の「批評誌」続々創刊』という記事が掲載されていました。これによると『思想地図』の創刊号は1万5千部で、分類は雑誌コードではなく、書籍コードで本屋さんでは思想書のコーナーに並べられているとの紹介。
編集委員東浩紀北田暁大で、東さんの談話。「『批評空間』は広い意味でのマルクス主義の雑誌だった。『思想地図』はそういうイデオロギー性から自由です。さまざまな主張の人が交差する場にしてゆく」、「今後はなるべく書き手を固定しない。知の最前線はたくさんあるのに、どこが最前線かを示す地図がなかった。それを作っていきたい」とある。
芹沢一也×荻上チキが手掛けるメールマガジン『αシノドス』は、芹沢さんが各界の論者を招いている連続講演講座「シノドス」での講演録が軸で、独占掲載の論文や翻訳も付く。月二回の配信で毎回約7万字のボリュームで、僕自身、月500円払って購読しているのですが、なかなか全文、読み切れていないです。もたもたしていると次の新書数冊文分のテキストが送信されるわけでプレッシャーがかかります。
でも、記事は年寄りにとっても面白く、刺激があります。まあ、難しくて時々わからないところもありますが、背伸びを要請されることも愉しいです。何せ、登場する論客達が、中島岳志萱野稔人白井聡鈴木謙介など、気になる若手がずらりと並んでいる。

 荻上さんは「ブログは読者の気になるものだけを拾えるが、全体像を示しにくく、議論にも向かない。複数の文脈をつなげるいちばんいい手段は雑誌だが、情報を届けるのに時間がかかる」と、両者の中間にあるメルマガの良さを強調する。

 そして、『ロスジェネ』は、浅尾大輔が編集長で、こちらは、好調に売り上げを伸ばしている見たいですねぇ。批評家大澤信亮の小説、雨宮処凛赤木智弘杉田俊介など、若手論客のライナップです。
 雑誌の創刊が難しい中で「批評誌」が元気になるのが嬉しいが、出版流通に関しては最も鋭利な分析をする小田光雄「出版状況クロニクル」の最新号 (2008年5月21日〜6月20日)によると、『文学界』の「同人雑誌評」が今年で終わることに言及して、こんなコメントをしている。

〔これは何でもないことのように見えるかもしれないが、ものすごく象徴的な出来事である。人文系や趣味の雑誌の始まりは大半が同人誌であった。『文藝春秋』すらもそうなのだ。近代文学の誕生から一九七〇年代までは同人雑誌の時代であり、『文学界』『新潮』などの文芸誌の水面下には無数の同人誌と作家たちが存在し、これらの文芸誌という氷山の一角を支えていたことになる。「同人雑誌評」の打ち切りは同人雑誌の減少もあるが、両者の関係の終焉を意味している。つまり新人は賞でリクルートすればいいという『文学界』のスタンスの表明であろう〕

鈴木謙介文化系トークラジオで、「秋葉原事件」についてかような問題について作家が語らなくなったと言っていたが、確かに作家がアップデイトに時代を語らなくなりましたねぇ。社会学者、ジャーナリストの言葉は参照で人を動かすのはやはり詩人の言葉だと思う。東浩紀は作家デビューしましたが、やはり、学者・批評家でしょう。*1
まあ、それがひょっとしてケータイ小説の言葉であるかもしれないと予感が少しあるけれど、「同人雑誌評」がなくなることは、文学に携わる人はそれでいいのですかと言ってみたくなります。
感じない男ブログで、杉田俊介『無能力批評』が書評されていたが、杉田さんの言葉は確かに痛い。
ともあれ、アカデミズムとジャーナリズムの間から立ち上がる「本気に」言葉で発信し続けようと去年創刊された『フリーターズフリー』ともども、批評誌が元気じゃあないかと思ってしまう。
石原千秋の『ケータイ小説は文学か』、杉浦由美子の『腐女子化する世界』を連続で読みましたが、とても面白かった。「腐女子」ってオレに近い感性じゃあないかっと思ってしまいました(笑)。

無能力批評―労働と生存のエチカ

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