小説『リトルボーイの涙』(6)


田母神論文について、たかじんの「そこまで言って委員会より」の番組で放映されたYOUTUBE動画を見ていたら、三宅さん、鈴木邦男さんが、マットウな人に見えました。こちらに登場の元海上自衛隊士官には唖然としましたよ。
(1)http://jp.youtube.com/watch?v=kDhOYwynY48&feature=related
(2)http://jp.youtube.com/watch?v=4BO7v6CNC9Y&feature=related
(3)http://jp.youtube.com/watch?v=-eX1rySFZaM&feature=related
(4)http://jp.youtube.com/watch?v=TETwAMH1uMM&feature=related
中座していた小説『リトルボーイの涙』の続きをアップしたくなりました。

 もも子の夫の弟である健治は、21歳の色浅黒い少年の面影の残る若者であった。海軍工廠に勤めていたけれど、自ら志願して海軍所属の飛行部隊の一員として戦闘に参加したのです。戦闘能力のある若者が少なくなり、彼は集中的な短い訓練を受けやっと戦力の一員に加わることが出来るようになったばかりであった。彼も又、戦友達の恍惚とした渦の中に巻き込まれていた。
 七月の中旬のある宵の口。
 戦争で父も母もなくし、一人となった安奈が住んでいる長屋の一室に突然、健治がやってきたのだ。彼はもう何か観念した様子であった。七月二日に米軍機の空襲があり、七月二十三日午前六時に港の沖合で、海空戦の火蓋が切って落とされたのである。敵の艦載機約八百七十機が来襲したらしい。それから二十五日迄、戦艦榛名、伊勢、航空母艦天城、葛城を中心として日本海軍の最後の抵抗が始まったのである。だが、これらの全艦は航空支援のないまま標的艦さながらに爆撃された。わずかに、源田実大佐の率いる三四三航空隊の戦闘機「紫電改」二十一機が七月二十四日にK軍港を空爆して帰途のグラマン編隊三十機を攻撃し、十六機を撃墜したに過ぎない。
 この街の民家に米軍機墜落の記録がある。大体、海空戦は二十五日に勝負は決した。それでも、鎮守府発表によると、敵機撃墜149機、撃破151機とある。
 その大規模な戦闘の始まる前の緊張し切った状況の中で、彼は安奈のもとに訪れたと思われる。七月日の空爆は今までのものと違って本格的なものであった。近いうちに大きな海空戦が行われる事は予測出来たのである。
 彼は覚悟を決めた何の未練もない様子をしていた。彼は最後に一言、彼女に別れを言ってすぐ立ち去る積もりであった。彼女と愛し合うという事は頭になかった。愛し合えば自分にとっても彼女にとっても癒すことの出来ない未練が残ると思った。
 彼女も彼の気持ちがわかり過ぎる程わかった。二人は小さな卓袱台を間に差し向かった。あまりに話したい事が山の様にあるので何から話していいかわからず、無言であった。灯火管制の闇夜でも、二人は互いをはっきりと見ることが出来た。無言でも、心臓の今にも音たてて崩れ落ちるかすかな呻きを聞き分ける事が出来た。

続きは又…。*1
それはそうと、夏にピースおおさかにオヤジの従軍に関する遺品を寄贈したのですが、恩給のための「履歴申立書」が見つかったのですが、オヤジの軍歴概略を記録としてアップします。

昭和8年1月10日:歩兵第十聯隊入営
    1月20日:宇品港出発
昭和9年7月まで:満州国吉林省にて勤務
    7月19日:帰還除隊
昭和9年10月:秋期演習に応召(約二週間)
昭和12年8月2日:充員召集にて北支出征(北支・中支治安維持徐州作戦参加)
昭和12年8月31日:河北省静海県徐庄子にて、傷病「右頸部貫通銃創」
昭和14年10月20日:召集解除
昭和16年7月14日:関東特別演習(第133停車場司令部要員)として応召
   陶頼台隻城佶駅にて駐屯輸送部・給食などに任じられる。
   満州国・台湾・比島にて大東亜戦に参加(12月、台湾高尾より第二戦団として比島リンガワン上陸)
昭和17年2月:マニラ市入城、マニラ駅停車司令部にて勤務
昭和18年:第三輸送司令部に編入、鉄道復旧作業業務につく。
昭和18年4月26日:千葉鉄道聯隊に帰還除隊。
昭和19年10月10日:召集 岡山聯隊区司令部に勤務
昭和20年8月15日:終戦
    10月18日:復員      

 オヤジは明治45年生まれだから、入営した時は23歳だったんですねぇ。それから12年間、戦場の青春だったのか、僕が生まれたのは昭和19年1月だから、昭和18年4月に帰還除隊されて、僕を仕込んだことになる。ぴったんこ計算があうもんねぇw。
 小説『リトルボーイの涙』は昭和20年夏の一日です。
 日本では世界大戦と言えば、第二次世界大戦のことを通常指すけれど、欧米では第一次世界大戦のことを言いますねぇ、昨日は第一次世界大戦の休戦記念日とのこと、id:shohojiさんによると、生き残りの人がいらっしゃるとのこと。(http://d.hatena.ne.jp/shohoji/20081112
 毎日新聞「平和をたずねて」のアーカイブが更新されました。(http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/)